世にいう、リスクをとって前に進みなさいというのは、民数記において主が民にカナンの地へリスクをとって入国するように命ぜられたように(しかし実際は主の御心に従わなかったため40年荒野をさまよった)、あくまで【主の召命があるならば、万軍の主があなたについているから自信をもって】リスクをとって前に進みなさいということなんだよな。なんでもかんでも自分だけの決断でリスクをとって前に進めばいいというものではない。ましてそうした思いで他者をただただリスクに差し向けるのも違う。こうした言説は小泉政権下でものすごく流行ったなと思うし、僕自身もこの文脈のど真ん中にいたし、たくさんの失敗をした。リスクをとって前に進むのは、そもそもまず創造主への信仰心や忠誠心が前提にあっての話。大義がなければなぜ、迫りくるリスクと戦えるだろうか?この「リスクをとって前に進む」という感覚を、ちゃんと言語化するまで、つまり聖書の御言葉と出会うまでに12年かかった。主を畏れ、主に従うこと。これは、旧約聖書の中心的なテーマだともいえる。聖書はビジネスを扱う人にとっても、やっぱり読むべき書籍だなと思う。
「彼らはモーセに説明して言った。「わたしたちは、あなたが遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物です。 しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。 ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます。」 カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」 しかし、彼と一緒に行った者たちは反対し、「いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」と言い、 イスラエルの人々の間に、偵察して来た土地について悪い情報を流した。「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。 そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。
共同体全体は声をあげて叫び、民は夜通し泣き言を言った。 イスラエルの人々は一斉にモーセとアロンに対して不平を言い、共同体全体で彼らに言った。「エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。 どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」 そして、互いに言い合った。「さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう。」 モーセとアロンは、イスラエルの人々の共同体の全会衆の前でひれ伏していた。 土地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは、衣を引き裂き、 イスラエルの人々の共同体全体に訴えた。「我々が偵察して来た土地は、とてもすばらしい土地だった。 もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。 ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」 しかし、共同体全体は、彼らを石で打ち殺せと言った。主の栄光はそのとき、臨在の幕屋でイスラエルの人々すべてに現れた。 主はモーセに言われた。「この民は、いつまでわたしを侮るのか。彼らの間で行ったすべてのしるしを無視し、いつまでわたしを信じないのか。 わたしは、疫病で彼らを撃ち、彼らを捨て、あなたを彼らよりも強大な国民としよう。」」
民数記 13:27-33 14:1-12 新共同訳