日本におけるキリスト教の受容について考えるとき、昔(地域によってはいまも)海外旅行に行く時に変圧器や変換アダプターが必要だったように、聖書の世界を紹介する時(特に個人の生活に適応する時)は、いったん概念や言葉の変圧器が必要だなと思う。特に多神教国家の日本においては、一神教の世界というのは、非常に誤解を受けやすいし、あまりにも文脈が違うので、変換アダプターや、変圧器が必要。日本の牧師の役割は、こういう異文化受容のための変圧器としての役割、自覚が求められるのだと思う。
そういう意味で日本における新しい内村鑑三のような存在にならないといけないなと思う。主の栄光を讃えるために献身に励みたい。
いきなり聖書を読んでも、言うなれば、コンセントの形や電圧が違うので、そのままだと動かないんだと思う。占星術などの場合は、そもそも惑星という地球どこから見ても同じ共通の天体があるため、これが変換アダプターになるんだよね。
じゃぁ聖書における変換アダプターとは?それは「無償の愛」という概念でしかありえない。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。」
‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭13:4-10‬ ‭新共同訳‬‬
「普遍的な無償の愛の価値観」これが、個人生活の適応において、重要な変換器になる。
そういう意味で聖書の読み方の個人的なアドバイス、生活の適応こそが、今僕がやるべきことなんだなと思う。結局自分とイエス様との個人的な関係を結んでいくことが確実な救いになるので。そういう意味で日本の場合は、海外では一般的にうまくいく教会主義は、むしろアダプターとして機能せず、むしろこうした無教会主義の牧師が、個人的な相談に乗って、イエス様と自分とを直接繋げてくれる媒介役に集中した方がいいのだと思う。
結局言語的障壁、文化的障壁というよりも、イエス様との「個人的な媒介役」が必要。救いにおいて、重要なのは福音の三要素を信じることであって、教会主義はむしろ日本では本来の目的と逆の効果を持ってしまっている部分があると思う。
占いやカウンセリングに行くよりも、まずは聖書を開いて直接主に尋ねたり、牧師に相談した方がいいという欧米圏での一般的な常識を、こうした個人的な媒介役として、もっと日本でもうまく受容できればいいなと思う。
占星術家だった時代に、海外に行くと、海外の占星術家に言われたのは、「お前の国では、占星術家というとさけずまれないのか?ということだった。その時にはあまり意味がわからなかったのだが、キリスト教圏では占いはサタンの影響下にありそれに頼ることは禁忌であることは常識となっていて、そういう考えと常に占星術家は戦っていた。日本にはこういう緊張は全くない。今となってはよくわかるが、確かに占星術よりも聖書の世界の方がずっと霊的に完成されているため、たしかに海外の感覚はたしかに正しい。そして海外の占星術の世界もあくまで意識的であろうが無意識的であろうがキリスト教的なベースの上に成り立っているからこそ、サタンの影響が入らないようにという緊張の中で学問化、客観化されてきていると言える。
旧約聖書においても、占いは、厳しく禁止されている。
「あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。 これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。」
申命記 18:10-12 新共同訳
また、新約聖書においても、占いは、禁忌とされている。つまり、キリスト教世界において占いは禁忌ということは、海外における常識であって、もちろん占星術師もそれを意識して、いかに占いではなく、学問、心理学なのかという形でアカデミック化していこうとする歴史的背景がある。
「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。 彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」 彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。 ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。」
使徒言行録 16:16-19 新共同訳
また海外の占星術家と触れてよく言われたのが、アメリカではそもそも占星術家はもちろんのこと、カウンセリングよりも、だいたい何かに悩んだ時も、最初は皆教会に行って牧師に相談して解決しちゃう。だからすごく大変だ、と言っていた。占星術師の視点から見るとたしかにそうなんだが、逆にいうと牧師の役割ってすごく大きいという意味でもある。海外だと逆にそうやって機能していない教会の受け皿としてカウンセリングや、時によって占星術師がいると言えるのだと思う。
海外から直接ニューエイジ や占星術を点で受容しているがためにこの辺の面的な常識が日本には受容されていない。この辺りは今後の活動において非常に重要な要素になっていると思う。
日本はようは、悩んだ時に、「お寺や神社に行ってお坊さん、神主に相談しよう」とはならないからね。なので神様や仏様にお参りに行くし、そういう存在の具体的な声を知りたいという感覚で、占い師や霊能者、最近だとカウンセラーに相談するのだと思う。しかしそもそも占い師や霊能者、カウンセラーが確かな救済神学に基づいているかというと、そもそもその背景にある神学は、あくまでサタニックな影響を防げない教理的な欠陥構造を持っているニューエイジ 的なもの、あるいは神の存在を前提にしない自力救済の心理学になってしまうんだよね。
しかも今は特にSNSの時代で誰しもが自称カウンセラー、占い師として、こうしたサタニックな影響を防げないニューエイジ 的な神学に無自覚で、プチオウム(オウムもニューエイジ の影響下にあった)のような、エコーチェンバー化した集団による、カルト的被害が拡大していってしまっているのが日本の現状だと言える。