日本の教会に行ったときにものすごく感じた違和感、危機感は、教会の日曜礼拝に、おじいちゃんおばあちゃんしかいないこと。どの教会も高齢化が進んでいるらしい。これはいかにキリスト教理解が、初期の明治時代のクリスチャニティの受容あたりで止まっているかということでもあるし、70年代以降、いかにニューエイジ的文脈、つまりサタニックな影響のほうが強いかということでもある。たぶんこれまでの経験上、今の日本の40代の女性の1/4くらいの人が、ニューエイジ的・スピリチャルな文化の中にいると思うけれど、こうなったのも、オカルトがスピリチャルと呼ばれ始めたこの十数年の話。実際に教会に行って、強く感じたのは、これからは僕の世代が立たないといけないなと強く感じた。日本のクリスチャニティは非常に危機に瀕しているのではないかと思う。もちろんその中で日本特有の十字架を背負って霊的な戦いに臨まれていらっしゃるクリスチャンの皆さまに敬意を込めながら。。。
「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。」
エフェソの信徒への手紙 6:10-20 新共同訳