確かにロゴスを知的なプロセス探求するのはエリート主義に陥り、必ずそのプロセスは人を僭越にさせる。主は、ロゴスを、普通の人であり、また人類で最も謙遜な人であったアブラハムに啓示した。また、12人の使徒たちも、決してパリサイ派のラビたちような学問的エリートではなく、漁師や徴税人などの普通の人たちだった。ロゴスは、知的なものではなく、イエスキリストという存在によって啓示されたからこそ、人を告白と赦しへと導き、ロゴスに触れれば触れるほど、低く、低く、謙遜にさせていくのだ。主の栄あれ。ハレルヤ!