この世界、あの世なんだよな。皆、すでに死んでいる。でも、そのまま継続しているので気づかないという不思議な世界。クリスチャンは、死後の復活という概念があるので、これが復活かなるほどと理解ができる。マンデラエフェクトが起きている、時間の終焉がやってきたということはそういうこと。不思議な世界の中にいる。
ダニエル書やヨハネの黙示録などの終末論において、イエスキリストの再臨と直線時間の終焉について示唆されていたり、アウグスティヌスの告白の第3巻でキリストと時間論が語られていたり、パウロが聖書の中で第三の点に挙げられる神秘体験について語る様子なども、おそらくマンデラエフェクトを経験したことが原因なんだよな。イエス様がゲッセマネの園でお祈りする時に、ペテロはじめ3人の弟子が、3度に渡って寝てしまうのも、ようはイエス様の祈りによって振動数があがって眠くなってしまうってことなんだよな。。
この世はすでに死後の世界。わかっている人は分かっている。
聖書記者ヨハネはヨハネの黙示録の中で世界の終焉について主が語ることを書き記したが、同時にヨハネの福音書では、キリストはロゴスであったと告げている。日本語だと言(ことば)と訳されているので分かりにくいが原典のギリシャ語ではロゴス。つまりロゴスが実体化(受肉)したのがイエスキリストであって、再臨とはまさに時の終焉を意味するのだと思う。正直、はじめにロゴスがあったといった方がよくわかる。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった。このロゴスは、初めに神と共にあった。万物はロゴスによって成ったという風に。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭1:1-5‬ ‭新共同訳‬‬
本当は、初めに「真理」があった。といった方が、わかりやすいんだけどね。本義からずれるが、日本語のニュアンスとして意訳すると。神は真理とともにあり、真理が受肉したのがイエスキリストといえば、非常にわかりやすい。
おそらくそのように翻訳してしまうと、グノーシス主義に陥ってしまう可能性が非常に高いから、言と訳したのかなとも思う。英語でもこの部分はあくまでWordだからね。
確かにロゴスを知的なプロセス探求するのはエリート主義に陥り、必ずそのプロセスは人を僭越にさせる。主は、ロゴスを、普通の人であり、また人類で最も謙遜な人であったアブラハムに啓示した。また、12人の使徒たちも、決してパリサイ派のラビたちような学問的エリートではなく、漁師や徴税人などの普通の人たちだった。ロゴスは、知的なものではなく、イエスキリストという存在によって啓示されたからこそ、人を告白と赦しへと導き、ロゴスに触れれば触れるほど、低く、低く、謙遜にさせていくのだ。主の栄あれ。ハレルヤ!
「終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」
ダニエル書 12:13 新共同訳
「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。」
ヨハネの黙示録 22:12-14 新共同訳
「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭13:24-27‬ ‭新共同訳‬‬