特に戦後の日本の場合、国家神道における天皇陛下中心の価値観が失われた後、中心とすべき価値観が「経済的発展」になった。これは戦争ですべてを失った日本人にとっては確かにものすごい新しい神としてのリアリティがあった。そして、日本のカミの中心が経済的なものに据え変わった。
その信仰の強さゆえに、命をも惜しんで経済大国に生まれ変わった。
私たちは、生まれてからずっとこの文脈の中で生きているので、この文脈を対象化することは非常に難しい。
心の世界、霊的な文脈に進んでもなお、中核が経済にある。ゆえに日本のニューエイジ的問題はここにも大いにあると思う。決して神が中心ではなく、戦後の経済中心主義が、カミの中心に据えられている部分が大きい。
しかし、これは聖書的に言えば、完全な偶像崇拝であって、決して自らの中核に置くべき価値ではないということ。
また、実際に長年事業が安定してうまく行っている人は、多くの場合、中核を経済に置いていなくて、大体の場合、ヘブル的な文脈を持った神への信仰が中心にある。資本主義がキリスト教プロテスタンティズムから生まれたり、ユダヤ人が事業がうまいといわれる理由は、このヘブル的な価値観にこそある。
経営や仕事についてしっかりとした思想的なベースを持つうえでも、ヘブル的な価値観を学ぶために、旧新両約聖書を読むことはとても大事なことだ。ニューソート的な自己啓発のビジネス本ばかりを読んでいても、いっこうに地に足がついた意識にはならないだろう。なぜなら中核にあるものが、マモン(お金・経済)信仰だからである。
「主を畏れて身を低くすれば/富も名誉も命も従って来る。」
‭‭箴言 序‬ ‭22:4‬ ‭新共同訳
「銀よりもむしろ、わたしの諭しを受け入れ/精選された金よりも、知識を受け入れよ。 知恵は真珠にまさり/どのような財宝も比べることはできない。 わたしは知恵。熟慮と共に住まい/知識と慎重さを備えている。 主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道/暴言をはく口を、わたしは憎む。 わたしは勧告し、成功させる。わたしは見分ける力であり、威力をもつ。 わたしによって王は君臨し/支配者は正しい掟を定める。 君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆/わたしによって治める。 わたしを愛する人をわたしも愛し/わたしを捜し求める人はわたしを見いだす。 わたしのもとには富と名誉があり/すぐれた財産と慈善もある。 わたしの与える実りは/どのような金、純金にもまさり/わたしのもたらす収穫は/精選された銀にまさる。 慈善の道をわたしは歩き/正義の道をわたしは進む。 わたしを愛する人は嗣業を得る。わたしは彼らの倉を満たす。」
‭‭箴言 序‬ ‭8:10-21‬ ‭新共同訳