当然のように汎神論優位論が信じて疑われていない日本では、日本独自の洗練された弁証学が必要なのだと思う。尾山 令仁先生の創造主訳なんかもまさにこういう取り組みなんだと思う。
そもそもキリスト教信仰は、日本で一般的に受け入れられている宗教的相対主義では成り立ち得ず、宗教的排他主義もしくは宗教的包括主義をとらないと救いの教理として成立し得ない。これはそもそも弁証学は異教徒に対しては思惟への奉仕(ティリッヒ)でしかないから、あくまで宣教的な意味合いというよりも、むしろエクレシア内部、信じて救われた人が、より信仰を深めていく際に必要な護教的な意味合いで重要なものである。ゆえに弁証法は非常に重要な位置を占める。