ジョンウェスレーの神学(いわゆるメソジスト)をベースとしたウェスレリアン聖書注解(新旧両訳あわせて全7巻)が届いた。ウェスレーの神学はその後ホーリネス運動や、ペンテコステ派などにつながる、アルミニウス主義と聖化のプロセスを強調する神学で、僕自身の召命された背景にあるもののベースとなる神学なんだなと実感。今までの霊的な思索や研究の中で深めてきた内容とも、非常に調和するので、また活路が開かれてきた感じ。主の恵みだね。とても嬉しい。
ウェスレー神学の構造は、信仰義認による救いの教理をベースとしながらも、同時にその後の聖化に対する合理的な説明の基礎を提供するので、非常に心地いい。素晴らしい神学構造だと思う。
例えばこのウェスレー神学に基づいた大学として青学や関学があるように、たしかにメソジスト系が教育業界とも相性がいいのはなるほどと思う。これはこれまで活動してきたコーチングなどとも非常に相性がいい神学構造となるので、ようやく神学的にも活路が見出されてきた感じになるね。これなら牧師としてだけでなく、何より教育者としてしっかりとしたエートス(倫理)のもとで、人に献身することができる。このエートスの不在こそ、日本が異文化誤解して受け取ったニューエイジ 文化について感じていた違和感とある種の嫌悪感だった。これがようやく神学的に説明がつく。本当によかった。
まぁこれで「青学や関学が、背景的神学として基礎にしているウェスレーの神学をベースにした教育法に基づく献身ですよ」という説明ができるようになる。実際にそうだしね。実際、主は僕を牧師としてよりも教育者として召されたと考えた方が自然なんじゃないかなと思う。新たなコーリングが始まっているな。
特に僕自身、経営コンサルタントなどを通じて、経済的なアドバイスなどをするという、主から与えられてきた献身のための賜物があるので、経済活動とクリスチャニティの理論との調和はとても大事なテーマだった。ようやくその解が、メソジスト系の神学の中に見出されるようになってきた。ほっと一安心。
また、この神学のおかげで、今日本に跋扈しているカルト化したニューエイジの特に経済的な諸悪についても、しっかりと論駁できる神学的なベースができたともいえる。エコーチェンバー化するカルト的言説とその背景にある諸悪の霊と戦っていくためにも、エフェソ信徒への手紙の中の神の6つの武具のように、論駁するために必要な神学的ベースが必要だったからね。
正確には、牧師業と、教師業のふたつがあるということだね。あるいはコンサル業といってもいい。これで色々整理がつく。こうした業としての境界がしっかりあることで、例えるならば、「青学や関学は、クリスチャン系の大学だから、すべての救いを求める人を受け入れるために入学試験もありませんし、学費も献金性です、あるいは無償です」とはならないというように、よく理解していただきやすくなるからね。
これまで事業の中で築いてきた教育的資産という側面において、神学的にも、そのベースとなる経済的な価値を全否定する必要が無くなったし、と同時に、僕自身が「無償の愛」ということをずっとお伝えしてきたかったことが、伝道師という形でもしっかりと伝えることができるようになった。
これで、しっかりと僕自身のクレドに基づいて、お客様への誠実さをしっかりと事業の中でも、しっかりと説明ができるようになった。この活路は、活動を継続していく意味でも、本当に非常に重要なものだから本当によかった。
特に僕の築いてきた価値のベースは、教育的な資産にこそあるからね。
ウェスレーの神学のすごいところは、ルター以降の信仰義認の姿勢を固辞しながらも、それまでは戒律主義、自己義認の罪と批判されがちだった規律的生活(ゆえにメソジストといわれる)を、聖化という中に理論的に内包させることで、信仰義認と規律的生活(メソジスティックな姿勢)を両立させたことだね。ロマ書8章の中における、聖化というプロセスを協議の上でも重視視することで、一度はルターがカソリック批判の中で、技による救いとして切り捨てたものを、プロテスタント的神学構造の中で自己矛盾を起こさずに、再文脈・再結合させることができるようになったということなのか。特にカルヴァンの予定説に対抗して、アルミニウス主義(先行的恩寵説)を唱えたことも、こうした神学的な意味での、大きなブレイクスルーになったわけなのか。なるほど。