ティリッヒの「思惟への奉仕」という言葉は非常に気に入った。占星術師をやっていた時も、文章を書くということは、思惟への奉仕だったと思う。しかし今は「完全なもの(コリント13:10)」であるイエスキリストを信じるに至った今、この「思惟への奉仕」は本当に深いものがあるなとしみじみと感じる。思惟への奉仕というフレームで、今の日本におけるクリスチャンとしての活動を考えると、本当にいろいろなことができるなと感じるし、ネット社会だからこそ、これまでの時代以上の奉仕ができるのだと思う。とてもありがたいことだし、本当に一人でも多くの方が、福音による救いを感じていただければなと思う。

「完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。」
コリントの信徒への手紙一 13:10 新共同訳

結局キリスト教神学の完全性ってものすごいものがあるので、思惟への奉仕を通じて、おのずと信じるに至るようになるんだなと思う。これまでの人類の歴史自体がそれを証明している。マニ教(ニューエイジ)は廃れ、クリスチャニティが繁栄していくという真実。