思惟への奉仕をして、証を積み重ねていくことは、科学的なアプローチと何も変わらない。その世界観の違いは、万能の主が啓示された御言葉を礎にするものなのか、罪深き人間の揺れ動きやすい感情や、無知の知によるものなのかという違いである。思惟への奉仕と証を積み重ねるという意味においては、その真実性を伝えるアプローチそのものは科学的アプローチと変わらないともいえる。
ニューエイジャーが、自分の成功体験をSNSなどで誇示するのは、いうなれば「証」のつもりであって、ニューエイジの自分を愛するという論説は、「思惟への奉仕」のような体裁をとる。しかしそもそも背景としているものが、罪深き人間の揺れ動きやすい感情の上に成り立つものであって、結局のところ、最終的にはそれが機能しないということを「証」してしまうことになる。
「神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。」
詩編 1:6 新共同訳