そういえば最近、迷信という言葉を聞かないね。迷信っていう言葉は、西洋においてはカント的理性主義からのものだけではなく、キリスト教からの視点からも批判が加えられることが当然であるということはとても大事な論点だと思う。しかし日本ではこのクリスチャニティ からの迷信への批判という文脈はほぼ皆無。故にオウム事件のようなカルト事件が起こる。ニューエイジ =迷信であるということを、合理主義という観点からだけでなく、霊的な視点、つまりキリスト教神学からの批判もしっかりと受けなければならないのではないかと思う。そのためには日本のニューエイジャー は、聖書を読むことが何にもおいて非常に重要なことなのではないかと思う。そうすれば自分が迷信に囚われていた、騙されていたことにはっきりと気づくことになると思う。

つまり「迷信」という概念は、キリスト教すなわちヘブル主義的観点からも、科学すなわちヘレニズム主義的観点からも、両方から批判されるべき対象であるということなのだ。日本はアニミズム的信仰がメインで、そもそも本格的な一神教への回心、リバイバルが起きていないので、この種の「迷信」に半面においてしか対応ができていないという脆弱性があるわけだ。

このあたりのヘブル主義がしっかりと根付かない限り、日本における失われた30年というのは永遠に去らないのではないかと思う。カネがカミでありえなくなった今(本来元々そうなりえないのだが、戦後の荒廃の中ではそれがリアリティを持ちえた)、日本人が主によって召され、救われること、汎神論から一神教へのリバイバルは非常に重要なテーマになるのだと思う。