揺れ動く感情という不確かなものではなく、主によって万物が創造される以前から存在している御言葉という確かなものに積み上げていければ、事業は安定する。それが本来のクリスチャニティから生まれた資本主義の精神。
ニューエイジ文化においても、事業的に長年ずっとうまく行っている人は、そもそもこうしたクリスチャニティ教育をどこかで必ず受けていて、そうした世界観に知らず知らずのうちに生きている。結局、ニューエイジ事業といっても、ビジネスである以上、価値を与え着付けていかないと安定した事業にはならないから。
ずっと日本においては、教会文化が非常に弱かったので、こうした人たちのよりどころは昔は、ニューエイジしかなかったということ。
しかし今は、リバイバルの時代なので、ようやくクリスチャニティが明文化される時代が来ている。 であるならば、何もわざわざ危険なニューエイジ文化の言語で話す必要は一切ないわけだ。

ニューエイジの本質はルネッサンス(人間性回復運動)にあり、90年代以降形骸化した社会システムの中で歯を食いしばって歯車になって生きてきた日本人を救った考え方。しかし、同時に歴史的に見ると、ルネッサンスと対になって現れるのが、キリスト教信仰の回復(リバイバル)で、ルネッサンス的世界観だと方向性的には宗教的堕落を生み出していくので、必ず反動でリバイバルが起こることになっている。これは歴史的真実。

 中世のヨーロッパで近代に向かう前に、ルネッサンスと宗教改革が同時に起こったことは、このルネッサンスとリバイバルという対になる現象の一つの大きな鋳型となっている。これは様々な文化が国際的にまじりあう時代に必ず起こる現象。そもそもキリスト教自体も、ヘレニズムの時代に成立した宗教。
皆、今は日本においてもSNSの台頭で、異口同音にルネッサンス(人間性回復運動)の論説になびいているが、世界全体は大きな波であるリバイバルの時代に入りつつある。霊的な文脈を正しく理解できる人は、おそらくこれからの10年を世界的なリバイバルの時代ととらえるだろうと思う。日本においても、安易なニューエイジ論になびかずに、時代の先端をしっかりと見て、世界的にやってくる大きな波であるところのリバイバルを、非クリスチャン国家である日本人に対して、いかに文化翻訳できるかが、価値ある仕事ができるかどうかという軸になると思う。

日本におけるニューエイジ文化の終焉と、クリスチャニティの到来というのが今後の重要な研究課題になっていくね。