クリスチャンになったことで、占いという迷信から離れて、より科学的、学問的な内容が伝えやすくなったな。
「杏とクルミを一緒に食べると、低GIでダイエットに有効だし、クッキーみたいで美味しい」みたいな情報や、「中小企業の個人経営においても、バランスシートにおける流動比率を80-120%で保つことが大事」みたいな役に立つ情報を、普通に伝えられるようになるんだなと実感。占いだとなんでもかんでも汎神論的象徴に結びつけて、常にサタンの誘惑に晒されながら、いかにそれを乗り越えていくかなんか考えて、ものすんごい周りくどいからね。さらに自分自身が偶像崇拝の的になる(共依存の関係に陥る)という危険を常にはらむという。
ある意味で迷信に基づかない合理的な発信と、信仰という両面をしっかりと分けて伝えられるようになった。
名前をユピテルジョージから、本名の杉本譲治にしたように、得体の知れない「占い師」だった時と比べて、逆にこれからは灘高卒、早稲田大学政経学部出身みたいな、わりと世の中的に受け入れられやすい肩書のほうが、結果的に身を助けていくことになるんだろうなと思う。一応、これまでだって経営コンサルタントとして関わる企業に、しっかりと売り上げを立ててきたコンサルティング会社の社長だしね。
ある意味こうした高学歴ということ自体も、聖書的な信仰を間接的に知っていたからこそ、自分を責めて、呪っていたんだと思う。学歴を自分の経歴で使うこと自体にものすごく抵抗感があった。でも、結局聖書の 「また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい(ヤコブの手紙1章9節)」 という御言葉に救われた。結局、聖書の知識ってものすごく大事なんだなと思う。占い(神智学やグノーシス主義)にそれを求めたが、結局のところそこに答えはなかった。それが明確によく分かった。
なんかようやく普通の人生になってきたのかもな。これも何よりも主イエスキリストのおかげです。。
まぁ、たぶん、そのうちクリスチャン色もしだいになじんでいって、自然に透明になっていき、「作家」「教師」という形になっていくんだろうな。いまは自身がどっぷりと浸かっていた、ニューエイジ文化をメタ認知するための自己批評に、ある種手いっぱいだからね。
これからの生き方は自分の賜物である知性を、主のため、世の中のために献身的に使っていくという明確なイメージが心の内側にあるし、イエス様がそうであったように、より力強く、また謙遜な生き方に近づいていけるのだと思う。そしてそうありたい。
少なくとも占い師という元型を背負って、迷信深く生きる必要はなくなるし、本当の意味で、アカデミズムだけでなく、クリスチャニティという門を通過することで、合理的な近代人として生まれ変わったということなんだろうなと思う。

そもそもこの数年で20キロ痩せたのも別に占いのおかげでもなんでもなくて、普通にインストラクターの先生についてもらって継続的にピラティスを実践して、さらに、自分で食事をしっかりと作って(外食をしないのはもちろんのこと、低GIにこだわるために全粒粉のパンを自分で焼いて作るところまでやってきた)低糖質ダイエットを続けたからなんだよね。
結局占いと一緒にこういう健康についてのコンテンツをからめて発信しなかったのは、そもそも何でもかんでも占い的な象徴に結びつけることが知的ではないということを感じていたからなんだと思う。そもそも迷信と絡めた段階で、多分人はそれを妄信して、決して自分では継続的に実践しないからね。迷信はやっぱり迷信であって、迷信で決してダイエットはできないし、お金の知識だって占いという迷信と絡めることで、やはり間違って伝わると感じてきたからなんだと思う。
そういう意味で主イエスキリスト は、結果的にカント的合理主義に基づく、近代人としてのあるべき姿に正しく導いてくださったということなんだな。