僕のようにクリスチャンの信仰告白をしてすぐに、超教派的な集会に出ると、大学生の新歓コンパのようにそれぞれの教会へのお誘いを受けるのだが(むろん皆さん熱心なので心からの愛でそうなさっている)、教派や、信条が違っても、結局のところ、熱心な信仰を持っていらっしゃる方ほど、イエスキリストを頭としたひとつの身体(普遍的教会)であるということを熟知されていらっしゃるので、たとえ一時的にその場ではお断りしたとしても、何のわだかまりもなく普通のお付き合いがしていける。たとえ真反対の信条を持っていても、何の問題もなく温かい人間関係を築いていけるという不思議な(あるいは恵み深い)構造がクリスチャニティ。
ニューエイジ的な文脈になると、これがそうはいかない。引き寄せの法則という信条によって、波動が違う人とは違う世界を形成すると信じているので、決して「汝の敵を愛せよ」とはならない。このあたりが、結局最終的に、ヘレニズム主義が台頭した後に、クリスチャニティが広がるという歴史的必然性に繋がっていくのだと思う。
個人の感情によるものなのか、主が啓示された御言葉によるものなのかという違いは非常に大きい。
特にエコーチェンバーの場合は、関係性内部での同質化が高まってくると、 最初は気にならなかった微妙な違いをお互いに意識するようになり、その結果新しい分断をもたらしていくというようなことがよく起こる。やはり時代の分断を生み出しているエコーチェンバーを乗り越えていく方法は、クリスチャニティにこそあると日々深く感じる。