日本のアカデミズムにおいて、ユングは非常に評価されているし、多くの人がユングの元型や集合的無意識の概念などを無批判に援用するが、実際のところはその本質は「学問」というよりも、形を変えた「信仰」であって、その実はほとんど「宗教」に近い。
シンクロニシティという概念も、ようは聖書的な世界においては「神の御業」と表現されていたことを、汎神論的な世界観から言い換えて、神を解体していき、その上で、マニ教のように様々な神話を統合し、「集合的無意識」という形でそこに新しい神(セルフ/自己)をおいた。これはグノーシス的信仰といわずしてなんというのだろうか。ユング心理学、およびその大衆化は、シンクレティズム化していく宗教的な運動であったという側面が大いにあると思う。
少なくとも、当初日本にユングを紹介したアカデミシャンの間にはそういった意識はなかったかもしれないが、少なくともユング心理学を援用して、ポップ心理学化している人々の間では、もはやユングは学問ではなく、宗教になってしまっている部分が大いにあると思う。キリスト教世界から見れば、大衆化したユング心理学こそ、学問ではもはやありえず、聖書的信仰に反する異端であり、異教的なものと言わざるを得ないと思う。そういった常識が日本にはないからこそ、ユング心理学は日本に大衆的な意味あいにおいても、大いに受け入れられたのだと思う。しかし、こうした崇拝は必ずカルト的な問題を生み出していくことになる。それゆえ「聖書学」を学ぶことは、今の時代とても大事なものとなる。