聖書の世界では、進化論は否定されおり(というよりもそもそも進化論自体が聖書を否定するために生まれたが強い)、まぁこれはマンデラエフェクトなどを見ればわかる通り、確かに直線時間は神の被造物に過ぎず、その視点においても、聖書のロジックは、進化論を否定しうるだけの強度を持っている。まぁ、このことよりもむしろ大事なことは、進化論が、実質的な進化論の枠組みを超えて、神智学の中で、「霊的進化論」という形で取り入れられたことは非常に重要な側面があるといえる。宗教的文化がダーウィンの「霊的進化論」を取り入れたことによって、アセンションなどをはじめとした新しいスピリチュアリズムの文脈が登場した。「霊的な淘汰とそれによる人類進化」という概念も、もともとは聖書的な概念ではなく、あくまでダーウィンの進化論から派生した考え方。スピリチュアリズムにおけるアセンションと、聖書的な携挙という概念の大きな違いを理解するうえでは、こうした「進化論」という背景もしっかりと見つめる必要があると思う。

自己啓発の文脈においても、わりとこのニューエイジ独特の「霊的進化論」は幅を利かせているように思う。こうしたところからも、サタンの介入はあるのだと思う。