イエス様の十字架というのは、道徳的な赦しではなく、霊的な赦しにこそ本質がある。カソリックの中では割と一般的な、特に近代に入ってから一般的な自由主義神学に基づく「道徳感化説」では、道徳的な赦しが強調されることになるが、パウロ書簡(主にロマ書とガラテヤ書)を厳密に読むと、「充足説」や「刑罰代償説」のように、霊的な赦しにこそ本質があることが分かってくる。
どんな道徳的な罪も、イエス様の十字架によって、霊的に赦されないことはない。この真実は強調してもしきれないほど、非常に重要な側面であると思う。
父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。