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【ベツレヘムの星便り】367号    聖書におけるコミュニティ

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り) 2019/9/8                                 367号こんにちは、杉本譲治(旧ユピテルジョージ)です。 今日は聖書における、コミュニティ論についてお話します。 聖書の世界では、イエス様を自分の救い主として受け入れた段階で、霊的な意味で、クリスチャンの共同体に迎え入れられると考えます。 つまり、イエス様が、私たちの罪のために十字架の上で死なれて、墓に葬られ、3日後に復活したということを信じた段階で、心の内側に聖霊が内住し、その聖霊の力によって、霊的な意味で、クリスチャンの共同体へと迎え入れられます。 この共同体は、「目に見えない教会」や「普遍的教会」とも呼ばれ、教派の違いを超えて、世界にただ一つだけのイエス様を信じる全ての信徒たちが所属する教会と考えます。 しばしば誤解されがちなのは、聖書の世界の中における教会という言葉は、ギリシア語で、エクレシアと呼ぶのですが、これは決して「建物の教会」を意味しているのではなく、「会衆」や「人の群れ」という意味を持っているということ。本来は、建物ではなく、イエス様を信じたコミュニティ(人の集い)のことを指して、教会と呼ぶのです。 教会というと、どうしても建物の教会をイメージしてしまうので、私は、エクレシアや、ミニストリーといったほうが日本語的には分かりやすいかなとも思っています。 私も、毎週土曜日に国際弁護士の佐々木満男先生が牧されているホテルグランドハイアットのレストランでの集い(モーニングブレイクファースト)に参加していますが、これも聖書的な意味で言うところの立派な「教会」になります。礼拝堂や建物がなくても、信徒が集まるとそこに教会は成立するのです。 特定の宗派に所属しないこうした群れのことを、超教派と呼んだり、特に日本では、内村鑑三が築いた伝統の上に、無教会派と呼んだりもします。 僕自身がなぜ、敢えてこうした無教会派的な集いにこだわっているかというのは、わりと日本人にとって教会=建物と思われることが多く、ある種の敷居の高さを感じることが多い(僕自身もそう感じていました)ということが理由に挙げられます。 本来は、もっと気軽に、聖書を読んで、イエス様を信じた人々の集い(あるいは聖書やイエス様に興味がある人も気軽に参加できる場)というのが、日本にもっとたくさんあればいいのになという思いで、そういう価値観を共有できる方を探したところ、あっという間にその考え方を共有できる方々とお会いできるようになったわけです。これもまた主の恵みだなと感じます。 さて、こうしたコミュニティがどのような御言葉に基づいて形成されているのかを知る上で重要な箇所は、主に、「コリントの信徒への手紙」と「エフェソの信徒への手紙」の2つの書簡になります。 今日はコリントの信徒への手紙の中から、聖書が考えるコミュニティ形成についての、重要な箇所をご紹介します。 ▼コリントの信徒への手紙一 12章18節~27節 新共同訳「そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」 聖書では、福音の三要素を信じた人は、イエス様の身体の一部になると、伝えています。そして、人によってそれぞれが持っている賜物(才能)を活かして、互いに支えあっていくことの大切さをみ言葉を通じて伝えています。 クリスチャンのコミュニティは非常に特殊な側面があり、それはそもそもすべての人がひとつの同じ神を信じており、また教派の違いに関わらず、同じ聖書の御言葉の上に成り立っているので、初対面の人でも、すぐにまるで「家族のように」親密になれるという特徴があります。 こうした一瞬でラポールが築かれる、親密さというのは、イエス様が宣教なさったヘレニズムの時代には、様々な文化や国々が交じり合った、いわゆる国際化が進んだ時代において、信頼を醸成するうえで非常に重要な役割を果たしました。 2000年経った今でも、この特徴は引き継がれていて、聖書を学ぶという焦点で、クリスチャンの集いに参加すると、そもそも信じている価値観が同じものなので、信頼関係を形成し、親しくなるスピ―ドが信じられないくらい早くなります。 しかも、日本だけでなく、海を超えて、世界各国の兄弟姉妹との関係性も、広がるのです。世界中に20億人以上いますからね。 SNSは主に、情報を共有する中で、「友達の友達は、友達である」という価値観に基づいて発達してきましたが、今はむしろエコーチェンバー化に見られるように、むしろ自分と価値観が異なる人との差がどんどん広がり、人々の意識は、繋がるばかりか、分断と孤独へと進んでいる側面が、近年とても大きな問題になってきています。また、その背景には、「自己実現」をベースとしたニューエイジ的な思想が、ベースに存在しています。 聖書の世界のコミュニティ論はこれとは異質なもので、聖書は「知識」ではなく「信仰」を共有するという構造をとります。 つまり三位一体の神(父と子と聖霊)と、聖書の御言葉というゆるぎない信仰の中心を、文化や人種、時代すら超えても、共有できるような構造を持っているのです。 そして、そうして形成されるコミュニティも、全て聖書の御言葉によって成り立っているので、「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」というようなメッセージのように、私たちにとって本当に大事な「無償の愛」という概念で成り立つ関係性が豊かに形成されるようになっているのです。 私はこれからの時代は、エコーチェンバー化の弊害などにみられるように、SNSなどで「知」の共有が重んじられた流れが終焉していき、聖書で語られるような「信仰」の共有こそ、本当に必要な価値になっていくだろうと考えています。聖書は、「汝の敵を愛せよ」というしっかりとした芯があるので、エコーチェンバー化しえないという側面があるのです。 それゆえ、今年に入ってから、本当に価値ある情報をお伝えしていきたいという思いに基づいて、事業や提供するサービスの構造も聖書の御言葉に基づいたものへと、大きく変化させていっているのです。 12年間歩んできた占星術師としての道のりを終えて、6月からクリスチャンとして出発し、今月で4ヵ月目になりますが、着々と、新しい時代に必要な本当に価値ある考え方を、しっかりと提供できる基盤を、整えています。 わずか3ヵ月の間に、僕自身の身においても、この世界を造った創造主に祈った通りの形で、僕の身の周りでもこうしたクリスチャンのつながりが奇跡的な規模で、豊かに広がり始めていること自体が、聖書の御言葉と、主イエスキリストが、いまも生きておられることを証していると日々実感します。3か月前はクリスチャンの知り合いは、ほとんどいませんでしたからね。それが今や、たくさんの魅力的なクリスチャンの仲間に恵まれています。 土曜日の集いも、とても温かいコミュニティなので、気兼ねなく参加してみてくださいね。 今週もあなたにとって素晴らしい一週間となりますように。父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。 【クリスチャンの集い】土曜日パワーブレイクファーストのお知らせ8月より、毎週土曜日の朝9時に、東京六本木のホテルグランドハイアットのフレンチキッチンにて開かれている、いつもお世話になっているクリスチャンである国際弁護士の佐々木満男先生や、作家で、牧師のジョセフケン牧師をはじめとした熱き日本のリバイバリストたちに会って親交を深められる朝食会(パワーブレークファースト)に、毎週参加させていただくことになりました。 本来は、ビジネスマンに向けた福音伝道を趣旨として創立されたINTERNATIONAL VIP CLUBの活動の一環として、第1・3・5土曜日の隔週での開催で、これまでも16年間開催されてきた佐々木満男先生が主催する朝食会です。 先日、ジョセフケン先生とお話しているときに、聖霊の注ぎによって意気投合し、いつもは開催していなかった第2,4土曜日も、ケン先生と私は出席し毎週必ず集い、皆で祈れるようにしましょう!ということになりました。お申込み方法等は、詳しくはこちらからご覧ください。 https://vrchurch.online/powerbreakfast 【パーソナルミニストリー】聖書の御言葉を通じて、自分の心を「無償の愛」で満たす 人生の困難に行き当たった時、判断に悩む時、あなたの手元に一冊の聖書と、主イエスキリストへの信仰があれば、常にあなたの道のりを、明るく照らしてくれます。 人生はいいことばかりではありません。しかし、どんな時でも救い主イエスキリストは、あなたのことを見守り、愛しておられます。 このパーソナルミニストリーでは、聖書的な人間理解、主イエスキリストの信仰をベースとしながら、時間をたっぷりととったマンツーマンのカウンセリングをご提供します。 「心の貧しい人々(謙遜な人々)は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイによる福音書 5:3-12 より 新共同訳 ) ▼時間の目安 60分から90分程度▼料金 本カウンセリングは、キリスト教の献身の精神に基づいた活動となるため、特定の料金は定めておりません。あなたがふさわしいと感じられる、主への感謝の気持ちを込めた献金という形でお納めくださいますようお願いいたします。 ―――惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。 (コリントの信徒への手紙二 9:6-7 より 新共同訳) ▼スケジュールの関係上、月10人までのお受付となります。何卒、ご理解、ご了承ください。▼日時 お申し込み後に、ご希望の日時を調整いたします。▼場所は、表参道(東京都)のサロンとなります。ご予約後に住所をお伝えいたします。▼ご遠方の方は、スカイプやLINE、ZOOM等のビデオ通話を使った形にてもご提供いたします。 ▼ご予約はこちらからどうぞhttps://vrchurch.online/personal_ministry メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)発行者:杉本譲治▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらからhttps://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge(c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】366号  僕(しもべ)として人に仕えること

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り) 2019/9/1                                 366号こんにちは、杉本譲治(旧ユピテルジョージ)です。 イエス様がお示しになった愛の形。これは無償の愛、見返りを求めない愛です。そして、その愛の示し方の一つの型としてとても大事なテーマは、どんな相手にも「僕(しもべ)」として仕えるという姿勢です。 ▼ルカによる福音書 22章24-27節 また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。 そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。 しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。 食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。 もともとイエス様が宣教なさっていた時代に、私たちがキリスト教として知っている信仰は、当時は旧約聖書を教典とするユダヤ人(ユダヤ教)の中から登場しました。イエス様自身も、決して当時、「キリスト教」という認識ではなく、「ユダヤ教」の様々な預言が成就するために、この世界に遣わされたと伝えています。 しかし、興味深いことに、キリスト教が広がるきっかけとなったのは、決して当時のユダヤ人たちによってではなく、むしろ異教徒の民たちが、イエスキリストを自分の救い主として受け入れたところから始まりました。使徒パウロの宣教を通じて、最終的にはローマ帝国、つまりはローマ人たちの国教になったことで、異邦人(外国人/あるいは地球上のすべての人たち)のための宗教に生まれ変わっていったのです。 ローマ神話を持つローマ人たちが、なぜ、自分たちとは本来何の関係もないはずのユダヤ教から生じたキリスト教を信じることになり、そのローマ帝国の後国教になったのか、とても不思議ですよね。しかも戦争などの暴力的な手段でもなく、なぜか平和的なプロセスの中でそうなっていったという不思議な現象でした。 この背景を読み解いていくと分かってくる非常に興味深いことは、キリスト教の中で、主イエスキリストは、すべての人の最も低い「僕(しもべ)」であるということが明確に啓示されているということがあります。 普通、神様といえば、最も高いものであり、あくまで人々がその僕(しもべ)として仕えるということが常識です。しかしイエス様がおっしゃったことは、この真逆の御言葉だったのです。 イエス様は、地球上のすべての人たちの僕(しもべ)であり、つまるところ、今の時代に生きているあなた自身の僕(しもべ)であると宣言されたのです。 しかもこの僕(しもべ)であるイエス様は、驚くべきことに、全ての人たちのために、つまりはあなたのために、自らの生命を屠って、罪を贖うための生贄になるほどの、僕(しもべ)として、自らを最も低いものとして宣言なさったのです。 この「低さ」ゆえに、当時のローマの人々も、イエスキリストを信じたのです。イエスキリストは、ローマの人々のうちでも最も低い「僕(しもべ)」だったからです。 ▼ヨハネによる福音書 3章16-17節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」 聖書におけるイエス様への信仰の中で、最も大きな特徴の一つが、この「低さ」「砕けた心」を持つことを何にもまして大事にするという姿勢です。 イエス様が自分に対してそうであったように、「自分自身も周囲の人たちに対して砕けた心で、低く仕えることができていますか?」と聖書の御言葉は問いかけてくださいます。 私自身この御言葉には、本当に身につまされます。と同時に、とても救われます。「人として大事なことは何か?」ということを考えたときに、何よりも「人を愛すること」にあると、まっすぐに聖書の御言葉は伝えてくださるのです。 もちろんこの言葉の通り生きることはとても難しいです。気付けば人間というのは傲慢になってしまうものですし、自分を迫害するものに対しても愛を持って砕けた心でい続けるということは、現代社会において至難の業でしょう。 そして、日々の生活の中で、知らず知らずのうちに色々な罪を犯してしまっている自分のために…2000年前に十字架にかかって死んでくださったこと。そしてその3日後に復活なさって、今も生きておられ、私たちに神の栄光を示してくださっていること。 このありがたみを噛みしめながら、傲慢になる自らの身を振り返り、イエス様のように低く、砕けた心で人に僕(しもべ)として仕えていくことを、聖書の御言葉を通じて、主は教えてくださるのです。 今週もあなたにとって素晴らしい一週間となりますように。父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。 【クリスチャンの集い】土曜日パワーブレイクファーストのお知らせ8月より、毎週土曜日の朝9時に、東京六本木のホテルグランドハイアットのフレンチキッチンにて開かれている、いつもお世話になっているクリスチャンである国際弁護士の佐々木満男先生や、作家で、牧師のジョセフケン牧師をはじめとした熱き日本のリバイバリストたちに会って親交を深められる朝食会(パワーブレークファースト)に、毎週参加させていただくことになりました。 本来は、ビジネスマンに向けた福音伝道を趣旨として創立されたINTERNATIONAL VIP CLUBの活動の一環として、第1・3・5土曜日の隔週での開催で、これまでも16年間開催されてきた佐々木満男先生が主催する朝食会です。 先日、ジョセフケン先生とお話しているときに、聖霊の注ぎによって意気投合し、いつもは開催していなかった第2,4土曜日も、ケン先生と私は出席し毎週必ず集い、皆で祈れるようにしましょう!ということになりました。お申込み方法等は、詳しくはこちらからご覧ください。 https://vrchurch.online/powerbreakfast 【パーソナルミニストリー】聖書の御言葉を通じて、自分の心を「無償の愛」で満たす人生の困難に行き当たった時、判断に悩む時、あなたの手元に一冊の聖書と、主イエスキリストへの信仰があれば、常にあなたの道のりを、明るく照らしてくれます。 人生はいいことばかりではありません。しかし、どんな時でも救い主イエスキリストは、あなたのことを見守り、愛しておられます。 このパーソナルミニストリーでは、聖書的な人間理解、主イエスキリストの信仰をベースとしながら、時間をたっぷりととったマンツーマンのカウンセリングをご提供します。 「心の貧しい人々(謙遜な人々)は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイによる福音書 5:3-12 より 新共同訳 ) ▼時間の目安 60分から90分程度▼料金 本カウンセリングは、キリスト教の献身の精神に基づいた活動となるため、特定の料金は定めておりません。あなたがふさわしいと感じられる、主への感謝の気持ちを込めた献金という形でお納めくださいますようお願いいたします。 ―――惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。 (コリントの信徒への手紙二 9:6-7 より 新共同訳) ▼スケジュールの関係上、月10人までのお受付となります。何卒、ご理解、ご了承ください。▼日時 お申し込み後に、ご希望の日時を調整いたします。▼場所は、表参道(東京都)のサロンとなります。ご予約後に住所をお伝えいたします。▼ご遠方の方は、スカイプやLINE、ZOOM等のビデオ通話を使った形にてもご提供いたします。 ▼ご予約はこちらからどうぞhttps://vrchurch.online/personal_ministry メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)発行者:杉本譲治▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信登録と解除はこちらからhttps://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge(c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】364号  施しをするときには

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り) 2019/8/18                                 364号こんにちは、杉本譲治(旧ユピテルジョージ)です。 今日はクリスチャニティにおける「施しをするときには」というテーマについてお話します。 私の好きな聖書の御言葉の中で、しみじみと深いなぁ…と感じるもののひとつにイエス様のこのようなメッセージがあります。 「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」マタイによる福音書 6:3-4 新共同訳 「右の手のすることを、左の手に知らせてはいけない」という御言葉が表現するように、それくらい、自分を誇ることなく、謙遜な心をもって、相手にも気づかないくらいに自然に、人に施しを与えましょうという教えです。 イエス様の教えは、常に一貫して、愛する相手の僕(しもべ)となって、謙遜で砕かれた気持ちで、相手に仕えましょうというもの。 相手を愛する時、ついつい見返りを求めてしまったり、相手を愛している自分自身を誇ってしまうということは、よくやってしまいがちな人生の失敗です。 振り返ると自分もこういう失敗をたくさんしていたなぁと…思います。この聖句を振り返ることで、いつも悔い改める気持ちでいっぱいになります。 そして、同時に、「右手のすることを、左手に気づかれなくらいに」人を愛することができればいいなと、思いも新たになります。 こうした自分の心を砕いてくれる聖句を持っていると、人生の失敗も未然に防ぐことができますし、聖書は常に自分の心を謙遜な心へと導いてくださるのです。 さて、今週もあなたにとって、素敵な一週間になることを心からお祈りしております。父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。 【クリスチャンの集い】土曜日パワーブレイクファーストのお知らせ今週から、毎週土曜日の朝9時に、東京六本木のホテルグランドハイアットのフレンチキッチンにて開かれている、いつもお世話になっているクリスチャンである国際弁護士の佐々木満男先生や、作家で、牧師のジョセフケン牧師をはじめとした熱き日本のリバイバリストたちに会って親交を深められる朝食会(パワーブレークファースト)に、毎週参加させていただくことになりました。 本来は、ビジネスマンに向けた福音伝道を趣旨として創立されたINTERNATIONAL VIP CLUBの活動の一環として、第1・3・5土曜日の隔週での開催で、これまでも16年間開催されてきた佐々木満男先生が主催する歴史ある朝食会です。 先日、ジョセフケン先生とお話しているときに、聖霊の注ぎによって意気投合し、いつもは開催していなかった第2,4土曜日も、ケン先生と私は出席し毎週必ず集い、皆で祈れるようにしましょう!ということになりました。お申込み方法等は、詳しくはこちらからご覧ください。 https://vrchurch.online/powerbreakfast 【個人セッション】聖書の御言葉を通じて、自分の心を「無償の愛」で満たす人生の困難に行き当たった時、判断に悩む時、あなたの手元に一冊の聖書と、主イエスキリストへの信仰があれば、常にあなたの道のりを、明るく照らしてくれます。 人生はいいことばかりではありません。しかし、どんな時でも救い主イエスキリストは、あなたのことを見守り、愛しておられます。 この個人セッションでは、聖書的な人間理解、主イエスキリストの信仰をベースとしながら、時間をたっぷりととったマンツーマンのカウンセリングをご提供し、あなたの人生がより良い方向へ向かうように祈り、また、献身させていただきます。 「心の貧しい人々(謙遜な人々)は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイによる福音書 5:3-12 より 新共同訳 ) ▼時間の目安 60分から90分程度▼料金 本カウンセリングは、キリスト教の献身の精神に基づいた活動となるため、特定の料金は定めておりません。あなたがふさわしいと感じられる、主への感謝の気持ちを込めた献金という形でお納めくださいますようお願いいたします。 ―――惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。 (コリントの信徒への手紙二 9:6-7 より 新共同訳) ▼スケジュールの関係上、月10人までのお受付となります。何卒、ご理解、ご了承ください。▼日時 お申し込み後に、ご希望の日時を調整いたします。▼場所は、表参道(東京都)のサロンとなります。ご予約後に住所をお伝えいたします。▼ご遠方の方は、スカイプやLINE、ZOOM等のビデオ通話を使った形にてもご提供いたします。 ▼ご予約はこちらからどうぞhttps://vrchurch.online/personal_session メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)発行者:杉本譲治▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらからhttps://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge(c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】363号  赦しの大切さ

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り) 2019/8/11                                 363号こんにちは、杉本譲治(旧ユピテルジョージ)です。 今日はクリスチャニティにおける「赦し」というテーマについてお話します。 現代の時代は、SNSの時代になり、個人がかつてないほどに、自己表現ができる時代になりました。 そして、それと同時に、人と会う前から、あるいは会わなくとも、相手がどのように日常的に考え、どんな価値観を持っているかを、知らず知らずのうちに、知ることのできる時代になりました。 そのため、人は、こうした情報環境の中で、なるべく傷つかないようにしたいものですから、人間関係における衝突を避けるために、価値観が合う人とだけ付き合い、そうでない人とは、距離を置くということが、コミュニケーションの前に行われることも増えてきたように思います。 しかし、実際のところ、人の本質は、実際に会って話してみないと分からないし、意外なところでディスコミュニケーションになっていることもしばしばあるものです。 こうした情報化が非常に発達した時代だからこそ、大事なことは、「赦す」ことの大切さ。 自分と異なる意見や価値観を持つ人と親密に関わることは、必ず相手も自分も感情的に傷つく可能性を常にはらんでいます。 その時に、聖書が言う「赦し」に関するこの御言葉が心の内側にあれば、おのずと、今までとは違う視点が持てるようになります。 「イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」マタイによる福音書 18:22 新共同訳 聖書の世界では、どんな時でも、相手を赦さない限り、創造主は、自分を赦すことはないと伝えます。 どんな完璧に見える人でも、罪を犯していない人はいないと聖書は教えます。相手を赦す秤が大きければ大きいほど、自分の罪も寛大に赦されることになるのです。 「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」ルカによる福音書 6:38 新共同訳 おおらかな気持ちをもって、他者と関わること。そしてその中で、たとえ衝突したり、傷つけあうことがあっても、私たちがこの世界の創造主によって愛されていることを思い出し、相手を赦すこと。 このことを通じて、SNSやスマホなどによって高度に情報が行き交う今の時代においても、深い愛を、周囲の人との関係性の中に保つことができるようになると御言葉は私たちに語り掛けているのです。 今週も、あなたにとって平安な一週間になりますように。父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。 【個人セッション】聖書の御言葉を通じて、自分の心を「無償の愛」で満たす人生の困難に行き当たった時、判断に悩む時、あなたの手元に一冊の聖書と、主イエスキリストへの信仰があれば、常にあなたの道のりを、明るく照らしてくれます。 人生はいいことばかりではありません。しかし、どんな時でも救い主イエスキリストは、あなたのことを見守り、愛しておられます。 この個人セッションでは、聖書的な人間理解、主イエスキリストの信仰をベースとしながら、時間をたっぷりととったマンツーマンのカウンセリングをご提供し、あなたの人生がより良い方向へ向かうように祈り、また、献身させていただきます。 「心の貧しい人々(謙遜な人々)は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイによる福音書 5:3-12 より 新共同訳 ) ▼時間の目安 60分から90分程度▼料金 本カウンセリングは、キリスト教の献身の精神に基づいた活動となるため、特定の料金は定めておりません。あなたがふさわしいと感じられる、主への感謝の気持ちを込めた献金という形でお納めくださいますようお願いいたします。 ―――惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。 (コリントの信徒への手紙二 9:6-7 より 新共同訳) ▼スケジュールの関係上、月10人までのお受付となります。何卒、ご理解、ご了承ください。▼日時 お申し込み後に、ご希望の日時を調整いたします。▼場所は、表参道(東京都)のサロンとなります。ご予約後に住所をお伝えいたします。▼ご遠方の方は、スカイプやLINE、ZOOM等のビデオ通話を使った形にてもご提供いたします。 ▼ご予約はこちらからどうぞhttps://vrchurch.online/personal_session メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)発行者:杉本譲治▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらからhttps://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge(c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】362号 ジーザスとともに歩む道

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り) 2019/8/4                                 362号こんにちは、杉本譲治(旧ユピテルジョージ)です。 今日は古くからの占星術師の友人と10年ぶりに会って、近況報告と同時に、なぜ占星術師を辞めて、クリスチャンになったのかという証をさせていただきました。 その友人は、もともと占星術だけでなく、仏教などをはじめとした神学的な教養を持っている方なので、静かに「ふむふむ」とうなずき、最後まで聞き手に徹して聞いてくださいました。 主が与えてくださった証であるマンデラエフェクトも、ほぼすべて共有ができ、また聖書の背景にある神学や、現代のニューエイジ信仰の危険性などもしっかりと耳をそばだてて、聞いてくださいました。 そして疑問点なども忌憚なくぶつけていただいて、それらも丁寧にお話をしていく中で、なるほどという形でいろいろキリスト教というものに関して持ちうる誤解も解けていったのです。 2年半の証のほぼすべてを数時間の間に怒涛の如く話したので、聞いてくれた友人の方はものすごく大変だったと思います。 しかし、聞き手としての平和な心と深い共感力、そして、抽象的な世界に対する理解力というたぐいまれなる賜物を持っていらっしゃる方であり、もともと世界中を旅して、宗教的な造詣に深い方であったので、話し手としてはとても助かりました。 そして、この数年の中で証をしてきた方の中でも、僕が回心するにいたった道のりを最もよく理解していただけた方だったなとしみじみと感じました。 僕の冗長な、延々と続く小難しい話を、忍耐強く聞いてくださったのは、昔からともに合宿をしたりしながら学んだよき友人であるから、背景に深い信頼関係があったということも非常に大きかったと思います。 そして、最終的には、聖書の中心的なテーマである「永遠の生命」や「キリストの復活」についても深く理解していただけました。 それらすべて話し終わった時には、やはり聖書で啓示されている内容が、汎神論や、多神教といった、伝統的な日本の信仰形態という非クリスチャン的な観点から見ても、その救いの教理に、一切の論理的な矛盾点がないという共通認識にも至りました。 さらにそこにマンデラエフェクトという共有できる主の栄光の徴が現れたことで、信じる信じないではなく、「真実だと悟る」ことになったこと、それゆえ、占い師としてのキャリアや経済的な安定の全てを捨てて、クリスチャンになった(むろん経済的な安定などない)という人生の変容についても、僕自身の視点で追体験する形で理解していただけました。ありがたいことです。 そして、ここまで深くお伝えできても、決して僕には、人を回心させるような力は1ミリもありません。 こうして僕を語らせているのは、主イエスキリストであり、また、聖霊の働きなのです。 僕が、主に召され、それまでの人生の全てを捨てて、100%クリスチャン、100%主イエスキリストの僕(しもべ)として生きるようになってから、できることといえば、思惟への奉仕、そして、証を続けていくこと。 「何事にも時があり、天の下の出来事には定められた時がある。(中略)人が労苦してみたところで何になろう。私は、神が人の子らにお与えになった勤めを見極めた。神はすべてを時宜(じぎ)にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」(コヘレトの言葉3章1~11節) という聖書の御言葉がある通り、僕が体験したような回心を、もし聞いてくださった方が今後の人生の中で体験することがあったとしても、それはあくまで神の御手によるものであって、伝道者の行いによるものではないということは大切なことです。 思惟への奉仕と証。 伝道者にとって、主から与えられたその2つの役割以外については、全てを父と子と聖霊の働きに委ねることになります。 ただただ僕は、主の僕(しもべ)であって、また同時に、話を聞いてくださるお相手の方の僕(しもべ)でしかないのです。 この世界を造りたもうた創造主と、愛する人々に対して仕えること、そして、時に僕を迫害する人々にさえ仕えるということであったとしても、 やはりそれは僕にとっては、心からの喜びであるのです。 本当に一人でも多く福音を知っていただくことで、「永遠の生命」を得て、この世界の万物を創造した主を褒めたたえる喜びを、伝えていけたら嬉しいなと思います。 ジーザスとともに歩む道。主の平和があなたとともにありますように。 父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。 【個人セッション】聖書の御言葉を通じて、自分の心を「無償の愛」で満たす人生の困難に行き当たった時、判断に悩む時、あなたの手元に一冊の聖書と、主イエスキリストへの信仰があれば、常にあなたの道のりを、明るく照らしてくれます。 人生はいいことばかりではありません。しかし、どんな時でも救い主イエスキリストは、あなたのことを見守り、愛しておられます。 この個人セッションでは、聖書的な人間理解、主イエスキリストの信仰をベースとしながら、時間をたっぷりととったマンツーマンのカウンセリングをご提供し、あなたの人生がより良い方向へ向かうように祈り、また、献身させていただきます。 「心の貧しい人々(謙遜な人々)は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイによる福音書 5:3-12 より 新共同訳 ) ▼時間の目安 60分から90分程度▼料金 本カウンセリングは、キリスト教の献身の精神に基づいた活動となるため、特定の料金は定めておりません。あなたがふさわしいと感じられる、主への感謝の気持ちを込めた献金という形でお納めくださいますようお願いいたします。 ―――惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。 (コリントの信徒への手紙二 9:6-7 より 新共同訳) ▼スケジュールの関係上、月10人までのお受付となります。何卒、ご理解、ご了承ください。▼日時 お申し込み後に、ご希望の日時を調整いたします。▼場所は、表参道(東京都)のサロンとなります。ご予約後に住所をお伝えいたします。▼ご遠方の方は、スカイプやLINE、ZOOM等のビデオ通話を使った形にてもご提供いたします。 ▼ご予約はこちらからどうぞhttps://vrchurch.online/personal_session メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)発行者:杉本譲治▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信登録/解除はこちらからhttps://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge(c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】361号 「迷い出た羊」のたとえから、創造主の忍耐強い愛について

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り) 2019/7/28                                 361号こんにちは、杉本譲治(旧:ユピテルジョージ)です。 今週から、週間占いや満月・新月占いなどを長く続けてきた雄鶏の羽根のサイトをクローズし、こちらの新しいURLのほうに完全に統合いたしました。https://vrchurch.online/ 新しいサイトのブログでは、「元占星術師だった私が、なぜ占いを辞めてクリスチャンになったのか?」というテーマについて、日々語っております。 また、聖書的な世界観をベースにした個人セッションのほうも新しいサイトのほうで受付を始めました。 これをきっかけに、「無償の愛」についての書である聖書の御言葉を通じて、自分の心を深い愛で満たし、また周囲の人たちとの関係性の中で豊かな愛情を分かち合う人生のための献身をさせていただければと思っております。https://vrchurch.online/personal_session/ ▼「迷い出た羊」のたとえから、創造主の忍耐強い愛についてさて、前回は、天におられる創造主の忍耐強い愛について、ミニバイブル(ヨハネによる福音書 3:16)についてのお話をしました。https://vrchurch.online/minibible0316 いかに創造主があなたを愛しておられるかを心で感じられる方法として、このように自分に語ってみるという方法をご紹介しました。 【ミニバイブル】「創造主は、その独り子をお与えになったほどに、【…あなたの名前…】を愛された。【…あなたの名前…】が滅びないで、永遠の命を得るためである。 創造主が御子を世に遣わされたのは、【…あなたの名前…】を裁くためではなく、御子によって【…あなたの名前…】が救われるためである。」 さて、今日は、この前回のメッセージに加えて、創造主があなたに注いでくださっている無償の愛のメッセージについてお届けします。 それが、マタイによる福音書においてイエス様が語られる「迷い出た羊」のたとえです。 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」マタイによる福音書 18:10, 12-14 新共同訳 いかがでしょう…。とても味わい深いメッセージですね。 決して創造主の無償の愛は、一人一人を見捨てることは無く、私たちそれぞれが応答するまで、忍耐強く待っておられます。 常にこの創造主の無償の愛が、イエス様の十字架での贖いを通じて、あなたの傍にあることを感じられるようになった時、人生は決して一人ではないことに気づけます。 その時、私たちは、このように愛されたように、初めて人を深く愛せるようになるのです。 人を無償で愛するには、忍耐強さが必要です。自分が期待したように、すぐに応答されることは稀でしょう。 しかし、創造主が私たちが応答するのを忍耐強く待っておられることを実感し、私たちも、同じように気持ちを切らさずに、他者を愛そうと思えるようになった時、私たちは、すでにもはや孤独の中にはおらず、深い主の愛の中に生きていることに気づけるのです。 今週もあなたが恵み深い主の愛の中で、癒しを得て、心豊かな一週間となりますように。 父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。 【個人セッション】聖書の御言葉を通じて、自分の心を「無償の愛」で満たす人生の困難に行き当たった時、判断に悩む時、あなたの手元に一冊の聖書と、主イエスキリストへの信仰があれば、常にあなたの道のりを、明るく照らしてくれます。 人生はいいことばかりではありません。しかし、どんな時でも救い主イエスキリストは、あなたのことを見守り、愛しておられます。 この個人セッションでは、聖書的な人間理解、主イエスキリストの信仰をベースとしながら、時間をたっぷりととったマンツーマンのカウンセリングをご提供し、あなたの人生がより良い方向へ向かうように祈り、また、献身させていただきます。 ▼時間の目安 60分から90分程度▼料金 本カウンセリングは、キリスト教の献身の精神に基づいた活動(デボーション)となるため、特定の料金は定めておらず、本活動継続のための献金という形でご協力をお願いいたしております。 ▼スケジュールの関係上、月10人までのお受付となります。何卒、ご理解、ご了承ください。 ▼日時 お申し込み後に、ご希望の日時を調整いたします。▼場所は、表参道(東京都)のサロンとなります。ご予約後に住所をお伝えいたします。 ▼ご遠方の方は、スカイプやLINE、ZOOM等のビデオ通話を使った形にてもご提供いたします。 ▼ご予約はこちらからhttps://vrchurch.online/personal_session/ 「心の貧しい人々(注:謙遜な人々という意)は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」マタイによる福音書 5:3-12 新共同訳 メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)発行者:杉本譲治▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらからhttps://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge(c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】360号  最も引用される聖句―ミニバイブルについて

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り) 2019/7/21                                 360号こんにちは、杉本譲治(旧:ユピテルジョージ)です。 まるで電話帳のような、分厚い聖書を読む時、何よりも大事なことは全体をざっくりと把握しながら読むこと。 これまでのメルマガでも、こうした聖書を読む際に、「全体をざっくりと把握しながら読むことの大切さ」を伝えてきましたが、これは強調してもしすぎることはない重要な視点。 そして、聖書とはいったいどのような書物なのかを一言で表すと、この一節にたどり着きます。 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネによる福音書 3:16 新共同訳 この聖句は、ミニバイブルと呼ばれ、今日は、聖書の中で最も引用される一節として知られています。 ミニバイブルについてhttps://vrchurch.online/minibible316 旧約聖書、そして新約聖書の御言葉(みことば)にあらわれる全ての光は、ある意味この一つの焦点に結実するレンズの光ともいえるでしょう。 この光をしっかりとあなたのハートで受け取れるようになると、あなたの人生は大きく変化し始めます。 この聖句はさらにこのように続きます。 「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」ヨハネによる福音書 3:17 新共同訳 聖書の教えは決して、厳しい修行や戒律、善悪の裁きではなく、「あなたは、神様の目にとって完璧な自分でなくとも、どんなに罪深い姿であっても、創造主に愛されている」という赦しのメッセージなのです。 「そして、あなたを赦すために、創造主は、大切な独り子イエスキリストを、生贄にさえした。それくらいの愛をもって、今もこれからもずっとあなたを愛しておられる」という無償の愛のメッセージなのです。 このミニバイブルは、下記のようにあなたの名前に言い換えて読み直すことで、より自分のこととしてとらえやすくなるでしょう。 「創造主は、その独り子をお与えになったほどに、【…あなたの名前…】を愛された。【…あなたの名前…】が滅びないで、永遠の命を得るためである。 創造主が御子を世に遣わされたのは、【…あなたの名前…】を裁くためではなく、御子によって【…あなたの名前…】が救われるためである。」 この御言葉に、あなたの名前(愛と親しみを込めてあなたの下の名前がいいでしょう)をいれて、じっくりと、ゆっくりと、声に出して味わいながら読んでみてください。 いかがでしょう。 何かハートに温かいものを感じませんか? この温かな愛こそが創造主が与えた「無償の愛」なのです。 聖句を味わう方法は何より、イエス様との関係性を、あなたとの個人的な関係性として、自分事としてとらえていくこと。 ついついイエス様は、歴史的な人物、出来事だからこそ、何か遠いはるか昔の、海の向こうの出来事と思われがちですが、イエス様との出会いは常に、「今ここ」に開かれているです。 今日は、聖書の中でも最も引用される聖句の一つミニバイブルについてのお話をいたしました。 イエス様の十字架の犠牲と、無償の愛との関係について、詳しい神学的背景については以前のメルマガでもお伝えしたのでこちらを時間のある時に読んでみてくださいね。https://vrchurch.online/1466 それでは、今週もあなたにとって素敵な一週間になりますように。父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。 メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)発行者:杉本譲治▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらからhttps://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge(c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】359号   聖書における「祈り」とは何か

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)  2019/7/14                   359号 こんにちは、杉本譲治(旧:ユピテルジョージ)です。 今日は、聖書における「祈り」とは何かについて語りたいと思います。 私たちが、しばしば黙想しながら、 目に見えないものと向き合うことを、 「瞑想」と呼んだり、「祈り」と呼んだりします。 さて、ここで重要な問いなのですが、 そもそも「瞑想」と「祈り」は、何が違うのでしょうか? なんとなく仏教では、「瞑想」を重んじ、 キリスト教では「祈り」を重んじる。 そのようなイメージを持つ方も多いでしょう。 この違いには、実は、それぞれの神学の構造の違いが存在しています。 私たち日本人の神の概念は、一般に「汎神論」と呼ばれるものになります。 汎神論とは、全てのものに神様が宿るという世界観です。 汎神論では、全てものに神様が宿るからこそ、自他の境界を超えて、 全てのものと一つになった時に、最も大きな「神」と出会うと考えるわけです。 そのために必要なプロセスを、「瞑想」と呼ぶのです。 仏教の場合はさらにここからそのすべての境界を超えた存在である 「神」すら存在しないという「空」という思想に行き着きます。 その意味では、仏教は本質的な意味では「無神論」あるいは、 もはや一般的に考えられるような神の存在をベースとした宗教ですらなく 「純粋な哲学」ともいえるものになるでしょう。 その一方キリスト教の世界では、旧約聖書の一番最初の書き出しは、 「初めに、神は天地を創造された。」創世記 1:1 新共同訳 という見解から、全ての歴史が始まります。 つまり、世界の初めには、時空を超えた、人格を持った一人の創造主が存在し、 その創造主が万物を創造したと考えるのです。 これが一神教と呼ばれる神学構造です。 そして、最初にこの明確な対象があるからこそ、瞑想ではなく、創造主という 対象を持った「祈り」を、重要なものとして考えるのです。 そして、さらに新約聖書において、この万物の創造主である父なる神は、私た ちの罪を贖ってくださった子なる神であるイエスキリストと同じ神と考えます。 さらにイエス様が昇天した後に、ペンテコステの日に下った聖霊と呼ばれる神 とも同じ神とされます。 そして、キリスト教では、父と子と聖霊という3つの位格(パーソナリティ) を持った、唯一の神という形で信じるのです。これをキリスト教神学では、三 位一体論と呼んでいます。 つまり、聖書における「祈り」とは、一神教の世界観に基づき、唯一の対象で ある神に対して捧げるもの。 この神学の構造の違いが分かると、聖書への理解はさらに深まるようになり ます。汎神論的な世界観を持つ日本人にとっては、この違いを理解するこ とは、そもそも文化的な背景を規定している神学からとらえなおす必要がある わけなのです。 異文化に触れて、その本質を理解するということは、こうした自分自身にとっ ての常識を、一度自分の枠組みから外すということも、とても大事なものにな るわけですね。 このことを理解したうえで、聖書の中でイエス様が唯一このように祈りなさい とお伝えになったみ言葉をご紹介しますので、ぜひこの世界を創造した創造主 への「祈り」という視点で、味わってみてください。そうすると、より深くイ エス様の御言葉が心に馴染んでくるでしょう。 ▼マタイによる福音書 6:5-15 新共同訳 祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、 人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言って おく。彼らは既に報いを受けている。 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れた ところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見てお られるあなたの父が報いてくださる。 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。 異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。 彼らのま ねをしてはならない。 あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。 だから、こう祈りなさい。 『天におられるわたしたちの父よ、 御名が崇められますように。 御国が来ますように。 御心が行われますように、 天におけるように地の上にも。 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。 わたしたちの負い目を赦してください、 わたしたちも自分に負い目のある人を 赦しましたように。 わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦し になる。 しかし、もし人を赦さないなら、 あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。 (マタイによる福音書 6:5-15 新共同訳) いかがでしたでしょうか。背景的な神学を理解すると、より聖句も味わいやす いものになりますね。 それでは、今週もあなたにとって素敵な一週間になりますように。 父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。 メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便 り) 発行者:杉本譲治 ▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらから https://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge (c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】359号  大自然に委ねるように、主の御心に委ねること

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)  2019/7/7                   359号 こんにちは、杉本譲治(旧:ユピテルジョージ)です。 今日のメッセージは、「大自然に委ねるように、主の御心に委ねること」です。 「それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のこと で何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。 命は食べ物より も大切であり、体は衣服よりも大切だ。 烏のことを考えてみなさい。種も蒔 かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。 あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ば すことができようか。 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの 事まで思い悩むのか。 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働き もせず紡ぎもしない。 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着 飾ってはいなかった。 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、 神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことであ る。」 ルカによる福音書 12:22-28 新共同訳 これは汎神論的な日本人の感覚からすると、すごくなじみやすい聖句かもしれ ませんね。大自然の中でゆったりと、のんびりと過ごすと、誰しも心が晴れや かになり、小さなことで悩んでいた自分のこだわりがとれて、気持ちのゆとり ができるものです。 しかしここで重要なこと。聖書の世界でとてもユニークなのは、日々の喧噪を 離れ、実際にこうした大自然の中に「避難」しなくとも、聖書を開けばいつで もこうした日本人が自然の中で感じる「大いなる存在」を感じられるようにな るということ。そしてこの大いなる存在のメッセージが、書かれた御言葉とし て啓示されたものが聖書なのです。 つまり、聖書における創造主とは、私たち日本人が自然に対して感じる畏怖の 気持ちを持つ「大いなる存在」と同じもの。自然の中で感じるあのゆったりと した感覚こそ、この聖句が示す創造主の愛なのです。 また、こうした自然を含めた万物の創造主であり、また、その主の愛が人格を もって現れた存在が、そう、イエスキリストなのです。 この天然(自然)と創造主という論点は、無教会主義というコンセプトを立ち 上げ、今の僕自身の宣教活動の一つのモデルともなっている、明治のクリスチ ャン「内村鑑三」の視点でもあります。彼は、日本にはいわゆる海外では一般 的な「建物の教会」というものはなかなかなじみにくく、むしろ日本人の感覚 では、天然の中での祈りこそ、最も日本人らしいこの世界への創造主への畏怖 の心を伴う教会の形であると考えました。 イエスキリストを自分の救い主として受け入れ、救われるということは、日本 人の汎神論的な感覚で言うと、常にこのような大自然の中にいるような心理状 態になることといえるでしょう。 イエスキリストを自分の個人的な救い主として受け入れるためにも、まずは、 私たちにとって親しみやすい部分から、聖書を読んでいくということもとても 大切。こうした視点を少しずつご紹介しながら、汎神論的な世界から、どのよ うに一神教的な世界へと視点をシフトし、聖書の世界に親しんでいけるかにつ いてこれからも分かりやすく解説していきたいと思います。 今週もあなたにとって素敵な一週間になりますように。父と子と聖霊の御名に おいてお祈りいたします。アーメン。 メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便 り) 発行者:杉本譲治 ▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらから https://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge (c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】358号  聖書はどのように読めばいいのか?

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り) 2019/6/30                   358号 こんにちは、杉本譲治(旧:ユピテルジョージ)です。 いかがお過ごしでしょうか。 前回は、これから僕がキリスト教という枠組みの中で お伝えしていきたい「無償の愛(アガペー)」について、 イエスの「汝の敵を愛せよ」という御言葉を引用して、語りました。 今回は、そもそも実際に聖書を手に取ったことがある方なら どんな人でも感じたことがある疑問、 「そもそも、この分厚い辞書のような書籍の どこから読めばいいの? どのようにして読めばいいの?」 という疑問に答えていきたいと思います。 新旧両訳聖書の総ページ数は、一般的に用いられている新共同訳では、 創世記からマラキ書までの旧約聖書39巻で1501ぺージ、 マタイの福音書からヨハネの黙示録まで、全27巻で480ページもあります。 つまり、新旧あわせて、2000ページ近い書物になるのです。 確かに、この文量に圧倒されて、 いくら前回お伝えしたように、「聖書は神様からのラブレター」だといっても、 いざ、さぁ読もうと思うと、おののいてしまいますよね。 というか、いきなり2000ページの書籍を何のガイドもなく読むことは ほぼ不可能でしょう。 でも、安心してください。おそらくほとんどすべての人が 最初にこのハードルの高さを感じているのです。 そして、このように皆乗り越えていくのです。 ▼聖書はまず「ざっくりと読むこと」が大事。 聖書を読む上で大事なことは、 とにかく一にも二にも、最初は「ざっくり」と全体をとらえるという方法をとることです。 簡単にいうと、まずは漫画から入り、 その上で、映像を使い、そこからようやく聖書自体に入る といったプロセスが大事。 そうでないと、ほぼほぼ確実に挫折してしまうと思います。 これはかつて僕が占星術を教えていた時にも、重要な学習方法として、 同じことを伝えていたのですが、 膨大な量の勉強をするときには、細かい部分ではなく、 全体をざっくりととらえながら、徐々に徐々に部分を見ていという 「ゲシュタルト認識」をベースにした学習が大事なのです。 最初は荒い解像度から入って、そののち次第に解像度を 細やかにしていく感じですね。 一つ一つの要素を覚えていって、最終的に全体を理解して、 ひとつの意味を見出そうとする 「要素構成主義」という勉強方法では、どこまで勉強しても、 なかなか全体像は、頭に入ってきません。 日本語も、辞書で「あ」から順番に覚えていないですよね。 英語もなんとなく「ハロー」から始まります。それと同じです。 またそもそも日本人の文化と全く異なる地域のストーリーなので、 そもそもどんな服装をしていたか、どんな気候なのかなど、 文字を読むだけだと想像がつきませんよね。 まずは映像や絵から入ることも大事なポイント。 ▼聖書を、「読む目的」とは何か? 知らず知らずのうちに陥っている「完璧主義」を手放して、 気持ちがぐっと前向きになる。 そして、勉強方法よりもさらに重要なことは、 そもそも読む理由を明確にすることです。 理由もなしに、何かを続けて取り組むことは、苦痛でしかないですよね。 聖書を読むことは決して苦行ではないのです。 では、あなたにとって、どのようなメリットがあるのでしょうか? それは、シンプルに言うと、 日々の生活の中における「完璧主義」から離れて、 そのままの自分でいいと思えるようになること。 そして、気持ちがぐっと前向きになり、 どんなことにもブレない自信と安心が身につくことです。 例えば、相手から責められているわけでもないのに、 なんか勝手に相手から責められているように感じて、 自己防衛的になったり、言い訳をしてしまうことってありませんか? あるいはケンカした時に、素直に謝れなかったりすることってありませんか? こうした時に、イエス様の愛を知っていると、 心を開いて人と関われるようになったり、 素直に謝れて、すぐに人間関係が良くなったりします。 また、僕が以前ずっとテーマとして扱ってきた インナーチャイルドの癒し、機能不全家庭というテーマについても、 このイエス様において表現されたアガペーの概念無しに、 インナーチャイルドを癒すことは、ほぼ不可能ではないかと 長年の経験上感じています。 あなたは、両親のすべてを赦せますか? もし、イエス様の愛を知っていると、 赦せるようになるんです。無条件に。 これってすごいことですよね。 さて、聖書の基本的な教えは、創造主の愛にあり、 またその愛に基づく赦しにあります。 特に新約聖書の中で一貫して伝えられているメッセージは、 イエスキリストを自分自身の個人的な救い主として受け入れるだけで、 この途方もない無償の愛のエネルギーの中に入れるということなんです。 そのために必要なもの。それは、ただただイエス様を信じること。 それ以外に、何の修行もいらないのです。 これを、新約聖書では、原罪の贖い、信仰義認、永遠の生命、 栄化と聖化といったような専門用語で語られるのですが、 先ほどもお伝えした通り、細かい部分をとらえすぎると 全体像は頭に入ってきません。 まず初めに大事なことは、「ざっくりと」捉えることなんです。 僕なりのシンプルな言葉で言うと、 聖書の世界を知って、イエス様を信じると、 それだけで不思議なくらい完璧主義だった自分が 人を赦せるようになったり、日々のイライラや焦りがなぜか自然と消えてしまう といったことが実際に起こるということなんです。 つまり、実際に生活の中で、変化を感じるということですね。 最初の目的は、これくらいざっくりであることが大事ですし、 僕がこのメルマガで、あなたに感じてほしいことも、 結局突き詰めれば、これくらいシンプルなことなんです。 それが、「無償の愛」なのです。 ▼ではどこから読むのがいいのか? さて、この2つを踏まえた上で、実際にどこから読むといいのでしょうか。 それはとてもシンプルです。 イエス様が実際に活動をなさっていた約3年半にわたるご様子を 4人の聖書記者が別々の視点から描いている、 新約聖書の「四福音書」から入っていくと、とても分かりやすいです。 四福音書とは、 マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書の 4つのストーリーです。 そして、今の時代とてもありがたいことに、 この4つの福音書を、超教派(特定の教派に所属していないグループ) の方々が、すべて美しい映像を無料で公開してくださっているんです。 映画のようなクオリティなので、見ごたえがすごいです。 【マタイの福音書】https://www.youtube.com/watch?v=s44IDy3emkI  【マルコの福音書】https://www.youtube.com/watch?v=YsAkNmbxc4U 【ルカの福音書】https://www.youtube.com/watch?v=joqnK7A9dQM 【ヨハネの福音書】https://www.youtube.com/watch?v=fhAfypcxQ8Q このいずれの映像も、地の文は、小説的に読みやすく訳された リビングバイブルという書籍の翻訳と全く同じものになっています。 それぞれの映像が約3時間ほどあるので、全部で12時間と、 かなりのボリュームになるのですが、安心してください。 実際この四福音書は、お互いに重複する部分も多く、 ひとつの映像を見た後に、また別の映像を見ると、 いろいろな気づきがあるようになっているのです。 まずは、全体をざっくりと把握するという意味でも、 一番短いマルコの福音書(映像で2時間程度の長さ) から見てみるといいのではないでしょうか。 ちなみに、四福音書を上の4つの映像で押さえれば、合計212ページ読んだことになり、 480ページある新約聖書のすでに1/2近くの文章を読み終えたことになります。 これもすごくありがたいことですよね。 また、映像で一気に見るにしても、2-3時間くらいの時間を確保しないといけないですから、 ひとまず映像を観る前に、漫画でざっくりと押さえるのもおすすめです。 僕が個人的に分かりやすいなと感じ、好きな漫画はこちらです。 30分から1時間もあれば読めると思うので、映像を見るよりも先にこちらを見たほうが より理解しやすいかもしれませんね。 (なお、こちらの漫画はAmazonの読み放題サービスに入っていると、無料で読めます) マンガで読む名作 聖書~福音書の世界~ 佐藤ヒロシ https://www.amazon.co.jp/dp/B01ARO2AA6/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_R1hgDb41GT3X1 今日は主に、そもそも聖書はどこから読めばいいのか? というテーマについて扱いました。 とにかく初めて聖書に触れる時には、最初はざっくりと、 全体像を掴むということがとても大事です。 また、その中で、次第に自分の好きな聖句や、 イエス様のたとえ話が出てくると思います。 このメルマガでもしばらくは、こうして聖書の世界に 「ざっくりと」慣れ親しんでもらうためのメッセージを 継続してお届けしていきたいと思います。 さて、今週もあなたにとって素晴らしい一週間になりますように。 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便 り) 発行者:杉本譲治 ▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらから https://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge (c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】愛の書としての聖書

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)  2019/6/23                   357号 こんにちは、杉本譲治(旧:ユピテルジョージ)です。 いかがお過ごしでしょうか。 この6月は、クリスチャンとしての信仰告白をして、 長年携わってきた占星術師としての歩みを辞めて、 福音を伝えていくという道へと進み始めました。 さて、僕自身がこれからの活動の中で、お伝えしていきたいメインテーマは、 イエスキリストが示された、無償の愛・アガペーについて。 このアガペーという愛を知ることについて、聖書はこのように述べています。 キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、 そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、 それによって満たされるように。 (エフェソの信徒への手紙 3:18-19 新共同訳) 私たちは、知らないことは、行動に移すことはできません。 逆に、知っていることで、初めてその考えを行動に移すことができます。 聖書はそのような、普通に生きていたら知りえないような、 「広さ、長さ、高さ、深さを持った愛」の在り方を学ぶために、 幾千年もの間読み継がれてきた「愛の本」なのです。 さて、聖書で伝えられるイエスの愛は、 一言でいうと「汝の敵を愛せよ」という愛です。 イエスはルカの福音書においてこのように語られています。 しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あな たがたを憎む者に親切にしなさい。 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。 上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。 求める者には、だれに でも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろう か。罪人でも、愛してくれる人を愛している。 また、自分によくしてくれる 人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをし ている。 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人 さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしない で貸しなさい。 そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、 恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさ い。」 ルカによる福音書 6:27-36 新共同訳 この言葉の中にある「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ」を 感じとってみましょう。 そして、このような立体感のある愛をどのように、 日々の生活の中で適応していけるだろうかと 思いめぐらしてみましょう。 特に今の時代は、SNSの台頭によって、 価値観の合う人とはどんどん距離が近くなる一方、 価値観が異なる人とは、さらに距離ができてしまう時代です。 SNSが登場する以前に比べて、人間関係が深まっているように見えて、 その実、むしろ逆に異質な価値観を持つ相手との関係性は、 希薄になっている時代ともいえます。 あなたの愛の価値観の中に 「汝の敵を愛せよ」という要素を入れてみると どのように世界の見方は変わるでしょうか? こうした営みを、長い歴史の中で人類を見守ってきた 聖書の御言葉に触れることは、私たちに忘れていた 人として大切な視点を与えてくれます。 さて、次回以降、ややもすると分厚くてとっかかりにくい 聖書を、どのように読んでいけばいいかについて 語っていきたいと思います。 今週もあなたにとって、素敵な一週間になりますように。 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。 アーメン。 メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便 り) 発行者:杉本譲治 ▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらから https://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge (c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】無償の愛とクリスチャニティ

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)  2019/6/16                   356号 こんにちは、杉本譲治(旧:ユピテルジョージ)です。 いかがお過ごしでしょうか。 前回から内容を大きくリニューアルした本メルマガ。 http://www.ondorinohane.com/blog/2019/06/400.php 今回からクリスチャニティに基づき、どのようなお話をしていこうかと 考えていたのですが、そもそもクリスチャニティとは何か? そして、それがなぜこの今週の星便りを読んでくださっていたあなたと どんな関係があるのか?という質問に答えないといけないと思っております。 前回もお伝えした通り、私が西洋占星術師から、 クリスチャンとして新しい道を歩み始めた理由は、 「無償の愛、犠牲の愛」について、これまで以上により分かりやすく、 より深くお伝えしていきたいという思いからでした。 「占い」でできたこと/できなかったこと  「自分を愛すること」というメッセージを超えて これまでの12年間、「愛する」というメッセージについて 私が一貫して伝えてきた内容はシンプルに言うと、 「自分らしい人生を歩むためには、自分を愛することが大事」 「その中で、自分が癒され、その癒しは周囲にも及び、 人を癒していくことになりますよ」というメッセージでした。 これを週間占いや、新月満月占い、個人セッションや講座などでも、 繰り返し、繰り返し、伝えてきたわけです。 そして、2007年のスタートから12年。 気づけばこうしたメッセージは、すでに普遍的なメッセージとして、 多くの人に受け入れられ、語られる時代に変わったように思います。 この12年間で伝えられたことは、特に心理学的な価値観に基づいた 「自分を愛することが大切」というメッセージでしたが、 一方で振り返って、伝えられなかったことは、そもそも「愛」とは何か、 「無償に愛するとはいったいどういうことなのか」という より一歩踏み込んだ内容でした。 日本における「愛」の歴史 そもそも日本に「愛」という言葉が一般化したのは、明治時代以降のことです。 西洋文化を受容する以前の日本においては むしろ「愛」とは、仏教的な文脈において、 執着の気持ちを意味し、我欲と同じく、 人生の中で離れるべきネガティブなイメージのほうが強かったのです。 愛というものにポジティブなイメージが持たれるようになったのは、 英語の「love」やフランス語の「amour」などの語義が、 明治維新以降導入され、 1) キリスト教の愛の概念(アガペー) 2) ギリシア的な愛の概念(エロス・ストルゲー・フィーリア等) 3) ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念(ロマンティックラブ) といった主に三つの異なる概念が同時に流れ込み、 現在の多様な用法となっていったのです。 この中で、私が伝えていきたい 無償の愛、犠牲の愛と呼ばれるものは、 1つめのキリスト教の愛の概念であるところの、アガペーです。 そして、この無償の愛、犠牲の愛という概念を語るうえで、 これまで何とかして星の言葉で語ることができないかと 試行錯誤してきたのですが… 結論としてはどうやっても、何をやっても無理でした。 というのも、どうしてもこの無償の愛、犠牲の愛ということを語るためには、 やはり「イエスキリスト」という存在抜きに、 語ることは不可能であるということを、最終的に悟らざるを得なかったのです。 無償の愛(アガペー)の大切さを伝えるために つまり、私がずっと12年間伝えたかった無償の愛、犠牲の愛とは、 アガペーであり、これはイエスキリストが示したような、 宗教的な愛になります。 これはお釈迦様じゃダメなのか?天照大御神じゃなダメなのか? と多神教国家の日本の感覚からすると、当然疑問として湧くことです。 しかし、僕もそう思って12年間ずっとイエスキリストの名前を用いずに、 書き続けてきたのですが…、結論としては、やはり不可能だったのです。 これは、仏教における悟りや慈悲という概念が、 開祖である釈迦という存在を抜きにして語れないように、 万世一系の天皇陛下の歴史が、天照大御神の存在を抜きにして 語れないように、 キリスト教における「無償の愛、犠牲の愛」の概念は、 下記の福音の三要素が前提にない限り、 絶対に説明が不可能なのだという結論にいたったのです。 福音の三要素とは、 1)イエスキリストが私たちの罪のために十字架の上で死なれたこと 2)墓に葬られたこと 3)3日後に復活し、今も生きておられること というものです。 また、この福音の3要素を、ミッション系の幼児教育や、学校教育などで 何かしらの形で触れる機会があった人には、 たとえ細かい部分を覚えていなくても、 何の前提もいらずに「無償の愛、犠牲の愛=イエスキリストの愛」ということ を共有できていたことにも気づいたのです。 キリスト教における「創造主」という存在 では、キリスト教における「無償の愛、犠牲の愛」とは一体何なのか? それは、一言でいうと、この世界を作った「創造主」の存在が 大きく関係しています。多神教国家の日本で「神」というと、 語弊があることが多いので、 ここではこの世界を創造した唯一の「創造主」と いったん区別して呼びましょう。 多神教国家である日本人の感覚だと、 「イエスキリスト《も》人を救ってくださる」というニュアンスで イエスキリストを八百万の神の一柱の神として 受け入れることは何も難しいことではありません。 しかし聖書が伝えるメッセージを正しく理解しようとした時、 これは全く誤った理解となり、「イエスキリスト《しか》人を救えない」 というメッセージが正確な理解になります。 《も》から《しか》になった途端に、 日本人にとってはいよいよ難しい概念になります。 そして、この創造主と、その独り子イエスキリストを前提としないと語れない のが、キリスト教における「無償の愛」「犠牲の愛」なのです。 父と子と聖霊の三位一体について さて、なぜ聖書では、「イエスキリスト《しか》人を救えない」と考えるので しょうか?それは、これから語る、キリスト教の神学を知ると、非常にすっき りと分かるようになります。 聖書の世界では、創造主と、御子イエスキリストと、聖霊の3つの存在を、一 つの神としてとらえます。つまり、この世界を作った創造主と、その御子イエ スキリストは同じ1つの神としてとらえるのです。 それゆえに、創造主が一人であるように、また創造主と同じ神である「イエス キリスト《しか》人を救えない」と考える世界観が、クリスチャンの世界なの です。 これは、キリスト教神学では、 父と子と聖霊の三位一体論として定義されています。 (なお、聖霊については今回語ると、さらに話が複雑になってしまうので、ま たの機会に説明します。) ちなみにこれは、カソリックでも、プロテスタントでも、正教会でも、 全ての宗派で採用されている考え方で、この三位一体説をとらない宗派は、 もしキリスト教を名乗っていても、 一般的に異端的信仰として区別されています。 キリスト教における無償の愛、犠牲の愛とは何か? さて、ここまでの【創造主】【御子イエスキリスト】【三位一体】を理解した 段階で、ようやく、キリスト教における無償の愛が、説明できるようになりま す。 そもそも、「無償の愛」というのは、何でしょう? これをシンプルに表現すれば、 「ありのままのあなたでいい」 「ありのままの私でいい」という愛だといえるでしょう。 しかしよく考えてみてください。 「ありのままの自分であっていい」といわれた時に、 「そうか、それじゃ、今日から、ありのままの自分でOKなんだな」と もし人が簡単に思えたら、心理学や占いなんていらないし、 セラピーも必要ありませんよね。 もちろん、僕が12年もメルマガを一貫して 自分を愛しましょうというメッセージを 書き続ける必要はなかったと思います。 つまり、「ありのままの自分でいい」と思えないからこそ、 人は「ありのままのあなたでいいんだよ」というメッセージを 常に必要としてきたわけで、どこまでいってもこうしたやり方だと、 この種の罪悪感は、根本解決に向かわないのです。 この「ありのままの自分でいいと思えない罪悪感」のルーツを、 聖書では「アダムとイブの原罪」に見出しています。 この原罪は、悪魔サタンが蛇に姿を変えて、 アダムとイブをそそのかして、善悪を知る知恵の実(禁断の果実)を 食べさせたことに由来しています。 【アダとイブ】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%83%90 キリスト教における無償の愛とは、 創造主による「赦しの愛」です。 もし、あなたの心の中から、 「ありのままの自分でいい」と無条件で、絶対的な安心感をもって、 本当に心から思えるようになると、 どのように世界の認識は変わるでしょうか? このことが、聖書の中のとても大事なテーマであり、 これがイエスキリストを救い主として受け入れることで得られる 「救い」の中身になるのです。 アダムとイブの「原罪」はどのように贖(あがな)われたのか さて、それでは、 アダムとイブによって人類に伝播していった 「原罪」はどのように贖(あがな)われたのでしょうか。 これは、旧約聖書の時代の当時の風習までさかのぼらなければ、 うまく説明することができません。 このアダムとイブによってもたらされた人類の原罪は、 旧約聖書においては、年に一回の過越祭(すぎこしさい)とよばれるお祭りに おいて「動物の生贄(主に子羊だった)」を屠り(殺して)、その血を創造主に 捧げることによって、一時的に覆い隠せるものとしていました。 つまり、罪を贖うためには、「生贄の血」が必要だったのです。 また、さらに、創造主は、動物の生贄とは比べ物にならないほどの、 とても厳しい犠牲を求められることもありました。 それは、ユダヤ人の祖、アブラハムが、堕落した人々の罪を贖うために 自らの子供イサクを生贄にささげよと告げられた時のことです。 自分の子供を捧げるというのはなんと、厳しく残酷なことでしょうか。 しかし、もちろんこれは後日談があります。 苦渋の決断ながらも、それを創造主への愛ゆえに素直に受け入た、 アブラハムとイサクの姿を見た主は、その信仰の深さを見て、 イサクが生贄として屠られるギリギリでそれを撤回しました。 あくまで創造主は、アブラハムの子孫を創造主の民として選ぶべく、 その信仰心を試したのです。 そしてこのアブラハムとイサクの生贄の話は、 新約聖書のキリストイエスの十字架による罪の贖いの 重要な伏線になっているのです。 実はこの段階で、創造主は、自らの独り子であるイエスキリストを 人間の姿で地上に遣わせ、人類の原罪を贖うための「生贄」として 屠ることを考えておられたわけなのです。 ちなみにイエスキリストが十字架の上で、創造主の子羊(神の子羊) として屠られたのは、この年に一度の過越祭と全く同じ日なのです。 この日をキリスト教ではイースター(復活祭)と呼んでいます。 最近、日本でもイースターが祝われる機会が増えてきましたが、 まさにこれが先ほどの過越祭と同じお祭りなのです。 つまり、創造主は、罪なき我が子を、 人類への愛ゆえに生贄として捧げられたのです。 子供を持つ親の気持ちになっていただくと、この創造主の愛がいかに 深い愛なのかを感じ取っていただけますでしょうか。 そして、こうした創造主による一方的な恵みの愛によって、 1)イエスキリストが私たちの罪のために十字架の上で死なれたこと 2)墓に葬られたこと 3)3日後に復活し、今も生きておられること を信じることで、私たちは、原罪から解放されることになると、 聖書は教えているのです。 そして、これによって救われた人は、 創造主と主イエスキリストを愛し、そして、 創造主や、イエスキリストが示してくださった無償の愛、犠牲の愛のように、 周りの人たちを愛しなさいと伝えるのです。 「イエスキリストが示して下った」という前提 確かに、ここまでしっかりと背景を説明しないと、 キリスト教の「無償の愛」「犠牲の愛」の意味は分かりにくいですよね。 でも、これは、海外の人たちに向けて 釈迦抜きに仏教における「悟り」や「慈悲」を説明することが難しいように、 あるいは、神道において、天照大御神抜きに、 天皇家の歴史を説明することが困難であることとと、 全く同じことだといえるでしょう。 僕自身これまでの活動の中で、無償の愛というテーマについて、 伝えたいメッセージを伝えるために、12年もかかってしまったのは、 つまりはこういうことだったのです。 それは、無償の愛の背景にある 「イエスキリストが示してくださったような」という前提を 自分自身が持っていたことに気づけなかったということなのです。 そして、今、12年目に自らクリスチャンだったということを 信仰告白という形で、しっかりと自己言及できたことによって、 ようやく今、このことを正確に伝えられる体制ができました。 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる 者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わさ れたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」 ヨハネによる福音書 3:16-17 新共同訳 クリスチャンとしての前提をシェアできることで、開かれる世界 さて、今日は、キリスト教神学のコアにある三位一体、イエスキリストの十字 架の贖い、福音の三要素についてお話をしました。 こうやって神学的な背景を理解できるようになると、今までなんとなく海外の 宗教なんだなとか、自分とはなんだか縁が薄い文化だなと考えていたキリスト 教や聖書の世界も、なるほどちょっと自分自身とのパーソナルなつながりが見 えてきて、興味が湧いてくると感じていただけるかもしれません。 これはちょうど12年前に、ホロスコープ占星術が全くといっていいほど市民権 がなかった時代に取り組んでいた文化的発信と、とても似ているような気がし ます。願わくは、12年後にキリスト教の世界観が今の占星術が市民権を得たよ うに広がってくれたら、ひとりのクリスチャンとしてとても嬉しいです。 そして、そもそも世界中で30%の人が信じているとされるキリスト教ですか ら、そもそも神学の構成としては、決して複雑なものではないのです。もしそ れが複雑な神学であれば、人から人へと伝わっていかないですからね。 そして、福音の三要素を信じるだけで救われるというシンプルさ(これを信仰 義認といいます)も、聖書の世界が持つ大きな救いの特徴であり、魅力です。 このキリスト教の背景が理解できると、私が一番伝えたい「無償の愛」の概念 が伝わるというばかりでなく、同時に、西洋の美術や芸術、文化、哲学、政治 など、様々な側面への異文化理解が深くなるのではないかと思います。 こうしたキリスト教という切り口で、新しく開かれる世界を、楽しみながら、 学んでいけるお話を、このリニューアルしたメルマガでは毎週お届けしていき たいと思います。 今日も、前回に引き続き、長いメッセージとなってしまいましたが…お付き合 いいただきありがとうございました。 今週も、あなたにとって素敵な一週間になることを、 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 メールマガジン【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便 り) 発行者:杉本譲治 ▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 ▽本メールマガジンの配信解除はこちらから https://j.bmb.jp/bm/p/f/tf.php?id=r_bridge (c)2019 George Sugimoto All Rights Reserved.

【ベツレヘムの星便り】400年の時を超えて、動き出す「愛と目覚めの物語」

◆【ベツレヘムの星便り】(旧:ユピテルジョージの今週の星便り)  2019/6/9                  355号 こんにちは、杉本譲治(旧:ユピテルジョージ)です。 いかがお過ごしでしょうか。 メールマガジンの名前が変わってしまって、驚く方も多いかもしれません。 先週のメルマガにてお伝えしたのですが、この2019年6月から、 西洋占星術師ユピテルジョージとしての活動を、全て終了し、 これから一人のクリスチャン杉本譲治として、 皆様に、メッセージをお届けすることを決意しました。 ▼週間占い、および、新月満月占い終了のお知らせ http://www.ondorinohane.com/blog/2019/06/post_1359.php といっても、皆様に届けるメッセージはこれからも変わらず、 愛を込めた、この高度に情報化した時代を心豊かに生きるための秘訣を、 お届けしていくというコンセプトは何も変わりません。 セラピストとしての活動開始から12年。 気づけば、僕がスタートした時には考えられないくらい、 スピリチャルな世界は、 日本でも広く受け入れられるようになりましたね。 しかしその一方で、日本が欧米から受容した 現在のスピリチャリティの文化は、現時点では、 全くもって不完全なものであると 言わざるを得ない「致命的な盲点」があります。 それは、欧米ではあらゆる全ての常識であるところの 「キリスト教への正しい理解」が、 日本のスピリチャリティにおいては、 あまりにも、すっぽりと抜け落ちてしまっているということです。 12星座占い、ホロスコープ、新月や満月占い、 引き寄せの法則、原因と結果の法則など、 日本が受容している占星術などを始めとした ニューエイジ的なスピリチャリティは、 本来の海外の正当な霊性文化から見たときには、 あくまで「本流ではない亜流のスピリチャリティ」であって、 真の意味での多くの人の人生を救う本家本丸は、 「キリスト教」にあります。 そもそも占いは、キリスト教においては、 厳しく禁じられていることはご存知でしょうか。 欧米における占星術師やニューエイジャーはこうした キリスト教世界の枠組みの中で、あくまで「カウンターカルチャー」 として形成されてきた文化なのです。 それが日本に入ってきた段階で、こうした前提が崩れてしまっているのです。 このことは、日本のスピリチャリティ受容において、 全く持って、看過できない「盲点」ですし、 このままいくと、むしろ日本のスピリチャリティは、 SNSにおけるエコーチェンバー化などもあいまって、 かつてのオウム真理教事件のように、 再び危ない方向に進んでしまう可能性も充分にあるとさえ、感じています。 本来、キリスト教というものは、2000年前に西洋文明の中で それまでの宗教が持っていた様々な問題点を乗り越えるべくして成就した 非常に完成度の高い救いの教理でした。 そして、その後、世界中の3割の人が信じ、 様々な人種や文化を超えて受け入れられるほど 普遍性の高い教えだったのです。 しかし、驚くべきことに、そうした世界の状況と比較して、 いまだ日本のクリスチャン人口は、 全体のわずか「1パーセント」しかいません。 そう、400年もの年月を経ても、この数字はほとんど変わらず、 ずっと「1パーセント」のままなのです。 これは、驚くべき数字だといえるでしょう。 なぜここまで日本におけるキリスト教受容は遅れてしまったのでしょうか? それには、江戸時代初期の鎖国政策が大きく影響しています。 フランシスコザビエルによるキリスト教伝来から約400年間にわたって、 日本は、キリスト教の受容を実質的に拒み続けてきたのです。 科学や、自由民権運動などは、明治維新とともに 人々の間に受け入れられて、今や欧米世界と比べても、 その差異はほとんど感じないほどまで 追い付きました。しかし、スピリチャリティにおける、 世界ではスタンダードだといえる、キリスト教的考え方の受容は、 キリスト教が禁教だった時代から考えても、人々の意識は、 ほとんど何も変わっていないのです。 例えば、いまの日本の霊性においても、 諸外国から心理学が受容され、「自分を愛する」ということが 盛んにいわれるようになりました。 しかし、そもそも、果たしてどれくらいの人が、 「キリストの十字架における死と復活による原罪の贖い」 「アガペー(無償の主の愛)」というような、 欧米ではあらゆるすべての文化の前提条件となっている 「キリスト教的な愛に関する前提知識」を持っているのでしょうか。 あるいは、例えば、欧米では商習慣の前提となる「契約」という概念について 日本人はとても疎いといわれています。この契約という概念も、 もともとは旧約聖書がルーツにある考え方です。 ユダヤ人が商売が得意という背景も、旧約聖書の世界や歴史を しっかりと理解しないとなかなか本質的には理解できません。 また、旧約聖書における「アブラハム契約」や「シナイ契約(十戒)」という ものを知らなければ、なぜ欧米の人が、「罪と罰」という概念を重んじ、 またそれと同時に「赦しの愛(無償の愛)」の概念が存在するかも、 分かりにくいのです。 人類学者ベネディクトが「菊と刀」の中で述べたように、 欧米が「罪」を中心として考える文化であるのに対し、 日本人は集団的な圧力をベースとした「恥」を中心とする文化なのです。 こうした、聖書や、キリスト教の正しい知識抜きに、 どれだけ欧米から入ってくる霊的文化を受容したところで、 本当の意味での理解には遠く及びませんし、 また、そのようなところにどれだけニューエイジ的な思想や、 心理学的な愛の概念を取り入れようとしても、 日本の霊性の開花は、永遠にやってこないでしょう。 あくまで日本人の愛とは、どこまでいっても「和」「情」の延長線上にあるも のであり、キリスト教の理解抜きに、決して心理学やスピリチャリティでいう ところの「無償の愛」の理解に到達することはないのです。 僕のこれからの役割は、この江戸初期から約400年間もの間 時が止まってしまっている状況を打破して、 日本のスピリチャリティにおいて「正しいキリスト教理解」 を伝え、「愛」や「赦し」に関する理解をより深めていくことにあります。 さて、新約聖書の世界では、 「ベツレヘムの星に導かれた東邦の三賢者」という物語で、 これから私が皆様にお伝えしていく バビロニアの神学である占星術から、完成された救いとしての、 主イエスキリストへの信仰へのシフトが象徴的に描かれています。 ★マタイによる福音書 2:1-12 新共同訳 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。 そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。 エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、 メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。 「ユダヤのベツレヘムです。 預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、 お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、 星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、 見つかったら知らせてくれ。 わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、 東方で見た星が先立って進み、 ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。 彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、 黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、 別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」 (マタイによる福音書 2:1-12 新共同訳) この物語は、 バビロニアを中心として発達した占星術を使った王政の時代が終わりを遂げ、 キリスト教という、万人のための救いの教理が、誕生したことを 告げ知らせてています。 東邦の三賢者、つまりバビロニアの占星術師たちが、 「ひれ伏して幼子を拝んだ」という記述も この「星」から「イエスキリスト」へという、 根本的な変化を、象徴的に語った言葉なのです。 今回のリニューアルにあわせて【今週の星便り】から、 【ベツレヘムの星便り】へと、新しく名前を変えたのには理由があります。 僕自身、これまでの12年の活動の中で、前回もお伝えした通り、占星術を使っ た救いには限界があることを、深く悟りました。 そして、これにはそもそも、日本のスピリチャリティにおいて、江戸時代の鎖 国から綿々と続いているキリスト教への誤解があることが、年々理解できるよ うになっていったのです。 そして、深々と、ひれ伏して幼子を拝む東邦の三賢者のように、「主イエスキ リストの御言葉」こそ、これからの日本の霊性改革の本家本丸になることを深 く予感しているのです。 また、旧約聖書の中で、イエスキリストの到来について預言されているイザヤ 書においても、イエスキリストの再臨に際して、日本における霊性の目覚めが あるということについて記述されている箇所があります。 ★イザヤ書24章15節 共同訳 「それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び/海の島々でも、イスラエルの 神、主の御名を尊べ。 地の果てから、歌声が聞こえる。「主に従う人に誉れ あれ」と。」 このイザヤ書の「東の地」「海の島々」は日本を指しているという説が以前よ り根強くあります。 その意味でも、私たち日本人が正しく聖書の世界を理解し始め、霊的な目覚め を遂げていくことは、何も日本だけの意識改革にとどまることなく、これから 世界中に大きな影響を与えていくといえるのです。 こうしたテーマを深いベースに据えながら、今回新しく生まれ変わった【ベツ レヘムの星便り】では、日本がこれまで400年にわたって取りこぼしてきたキ リスト教や聖書のエッセンスを、皆様に分かりやすくお伝えしていきたいと思 っています。 このことによって、何よりあなた自身が、私自身が感じてきたような「救われ る感覚」を感じられるようになっていくと思います。聖書はあらゆる世界にお いて、いつの時代にも、人々の心を勇気づけ、慰め、常に寄り添ってきた神の 言葉だからです。 これから心を込めて書いてまいりたいと思います。ぜひ、これからもご愛読の ほどをよろしくお願いいたします。 なお、これまでは月曜日配信でしたが、今回から日曜日配信となります。これ はキリスト教においては、人々は日曜日に教会に集まり、主に祈る習慣がある からです。これを安息日といいます。その意味で、このベツレヘムの星便りが、 あなたにとって一つの「不可視の教会」であり、また「安息日の祈りのための 書簡」になればという思いを込めています。 ペンテコステの日である今日、主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交 わりが、あなたがたすべてとともにありますように。アーメン。 杉本譲治メールマガジン【ベツレヘムの星便り】 発行者:杉本譲治(旧:ユピテルジョージ) ▽今週もあなたにとって素敵な1週間になりますように。 父と子と聖霊の御名において、お祈りいたします。アーメン。 (c)2019 GEORGE SUGIMOTO All Rights Reserved.